けものフレンズ

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「自己認識のぐらぐらしている子供(かばんちゃんは大人じゃないから子供なのだと思う)がお友だちと助けたり助けられたりし合うお話」である。

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そんなことって、あり得るのだろうか。

ぼくの知っている「子供」とは、たぶん『ちびまる子ちゃん』に赤裸々に描かれているのだと思うけれど、「自己認識のぐらぐらしている相手」に向かって情け容赦なく襲いかかる生き物である(ぼくは『ちびまる子ちゃん』のアニメを観たことはない、マンガは数巻読んだけれど)。おとなしい男の子を「女みたい」といって嘲り、勇ましい女の子を「男みたい」といって嘲り、しっぽがない、毛皮がない、角がない、くちばしがないといっては嘲り、飛べない、泳げない、木に登れないといっては嘲るというのが、ぼくの知っている「子供」である。

ぼくは「フレンズ」になんか出会ったことがない。それは、ぼくが生きてきたのが「ジャパリパーク」じゃなかったからだろうか?

そう、「こんな話あり得ない」と思っているうちにDVDで2巻分くらいのお話が終わった。そのうち、主題歌にこう歌われていることに気づいた。

けものはいても のけものはいない ほんとのあいはここにある

「このお話は、たとえばそういう『ほんとのあい』と呼ばれるものとかを描こうとした、高邁な精神のアニメなのかもしれない」とぼんやり考えているうちに、またDVDで2巻分くらいのお話が終わった。

やがて、「かばんちゃんはたしかに自分が何のフレンズなのかは分からないのだけれど、一方でかばんちゃんは最初から最後までずっとちゃんと『かばんちゃん』自身だったじゃないか」と思うようになって、「自己認識がぐらぐらしていても『自分には何ができるか、自分は何がしたいか』について疑うことはなかったかばんちゃんにとって、お友だちと助けたり助けられたりし合うことは最初から何も難しくはなかったんだよ」と思うようになって(「でもそれが成立したのはジャパリパークだったからだけどね」とは心の奥底で思い続けたけれど)、しばらくしているうちにお話は終わった。

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結局『けものフレンズ』って何だったのだろう。いま言ったように、考え方は3つある(以下ラッキービーストの声で脳内再生いただきたい)。

  1. 【現実と相容れないフィクション】これはあくまでお話だよ。ほんとの世界にフレンズなんていないよ。
  2. 【現実に対して示唆に富んだフィクション】これはあくまでお話でほんとの世界にフレンズはいないけれど、かばんちゃんみたいに「すすんでおこなうきもちがあれば、もたないものではなくもっているものにおうじてうけいれられる」(cf.Iコリ8:12、共)ことを目ざしてお友だちの中に入っていくことはだいじだよ。ただ、それをみんながフレンズのようにうけとめてくれるかどうかはべつもんだいだから、手ばなしにきたいするとたぶんそうぞういじょうにきずつくよ。
  3. 【「こんなふうに生きることは現実にも可能だ」と示して見せるモデル的なフィクション】「自分はいったい何ものなんだろう」と思いながら生きているのはかばんちゃんだけじゃないのだから、かばんちゃんがじっさいには何のフレンズだったとしても、サーバルちゃんみたいにかばんちゃんといっしょに生きていくことはできるんだよ。

ぼくが『けものフレンズ』を観ようと思った直接の理由は、サーバルちゃんのことを「価値観が極端に緩い」と評した人がいたのでその真偽のほどを確かめようと思ったからなのだけれど、実際観てみて、ぼくはサーバルちゃんのことを「価値観が極端に緩い」とは思わない。そして、「価値観が強いとか弱いとかいうことと、実際の対人関係とか社会生活とかで『価値観を留保して行動する』こととは別のことよね」と思う。ぼくはものすごくリゴリスティックなクリスチャンだと思うけれど、リゴリスティックなクリスチャンだからこそ、ロマ12:18に従って、社会生活のかなりの場面で価値観を留保して行動している(「みことば以上の価値観なんてない」と思っているからそういうことができる)。だからもしかしたら、最近になってぼくの身の回りにいる人たちは、ぼくのことを寛容な人間だと思っているかもしれない。

「自分の価値観を留保してひととつき合う」ことが子供にとって可能なのか(そして子供の行動としてそれが望ましいのか)ときかれたらぼくは疑問なのだけれど、ぼくが子供の頃実際に体験してきた「自己認識のぐらぐらしている相手」に襲いかかる子供たちの、まるで車にはねられた猫の死体に襲いかかって泥だらけの毛皮の下から真っ赤な内臓とピンク色の肉を飽きることなくむしり取り続ける黒々としたカラスの群れのような獰猛さというものには、たぶん「退屈しのぎ」という以外には何の意味もなかったのだと思う。「ああいうことはやめよう」と、子供に教えられるものなのか、ぼくは知らないし分からないけれど、それは実はいま大人であるぼくたちが『けものフレンズ』を観て、「この作品をどう観るべきなのか」を自分たちの心の中で決めることにかかっているのかもしれない。

むかしの子供は親にどなり散らされどつき回されてフラストレーションがたまってたからあんなに獰猛だったのかなあ。いまの子供は違うのかなあ。

(2019年02月)

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