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ヴァーチャル・レッド 2

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分からん。これではレビューが書けん。

そう思って、発売日に買って読んだ『ヴァーチャル・レッド』の第2巻をそのまま本棚に突っ込んで、まる4ヶ月が経ったのだが、ふと今日になって、「そうか、『分からん、これではレビューが書けん』と書くこともレビューのうちなんだ」と思いつく。「第3巻が出てから改めて読み返してまとめてレビューを書けばいい」、そういうもんじゃないんだと。

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この巻を読んで分かること。女の名前は「律夏(りつか)」というのだということ。律夏はかつて藤井の妻だったことがあるということ。そして、律夏は実はすでに死んでこの世にいない人だということ。

ここで、読者は基本的な疑問に直面する。じゃあ、ここまで読んだお話に登場してきた律夏は、いったい何なんだ?

藤井の幻に過ぎないのか?いや、その赤い家に行けば彼女に会えると言ったのは由野で、そこで藤井が律夏に会うと由野自身もはっきり分かっていたじゃないか……などと思いながら読み進めると、読者は、というか少なくともぼくは、もうひとつの疑問に突き当たる。由野って、誰なんだ?

第7章に藤井の家の「大ばぁば」の葬式のシーンがあって、そこで藤井の家は兄弟が2人いて、上が由野、下が航野という名前だ(変わった名前だ)ということが分かる。では、第1巻から出てきた藤井はこの兄弟のどっちなんだ?ということだが、葬式のあとメールチェックのために会社に戻ってきた兄貴の藤井は部下から「部長」と呼ばれている。第1巻に登場する藤井は「主任」だったはず(っていうか、この巻に出てくる社内表彰のシーンでも「主任」と呼ばれている)なので、兄貴の由野は第1巻から登場する藤井とは別人の気もするのだが、第7章の葬式のシーンからすると弟の航野は明らかに脇役で第1巻の主人公には見えない。

もしかしたら、この物語の本当の現在時は「藤井由野」が部長である時点のことで、主任である「藤井」が派遣の「由野」にそそのかされて律夏と逢うのは過去の記憶それ自体か、過去の記憶をベースにしたひとつの幻想、「夢」、なのかもしれない。そうだとすればこの物語は、過去と現在、現実と幻想がないまぜになった、とても複雑なドラマだということになる。そして登場人物も、本来はひとりの人間であるところの「藤井由野」が「藤井」と「由野」に分裂して登場しているということになる。

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そういうこと自体のたねあかしだけであれば、第3巻を読めばおそらく解決するだろう。

それはそれとして、この作品は何を描こうとしているのだろうか。この巻の終わりの、8ページにわたるモノローグをひとつに書き出してみる。

…問題は ないのだ ”死んだ者は 空へゆく” 質量保存の法則に拠れば 何も失われはしない現象 大地の一部に 大気の一部に成るだけの だから思想として 強(あなが)ち 間違ってはいない

――――…なのに

穏やかに消散していく彼女の記憶を 留め置いて崩し続ける内に 何も感じなくなった 温度も 時間の感覚も 全てあの女に あの夏の記憶に持っていかれた 自分が 彼女をどう思っていたかも もう よくわからない 

思い出せる事はもう とても少なくて、 「俺を裏切り 挙句死んだ女」 2年間だけ 「俺の妻」だった女

確かに 触れていた 毎日のように 当たり前の様に、 …異常なほどに、

何が、と問う暇さえ与えられず消え失せた

――――彼女は どんな女だった?

藤井は律夏を失ったことで自分を責め続けている。あるいは、自分を責めずにはいられないほど苦しんでいる。「そうしなければ …生きられない」と彼は思っている。そして、その中で、何度も何度も戻っていくのは、「――――彼女は どんな女だった?」という問いなのだ。

あの女は嘘吐きで 誰とでも寝る 最低の裏切り者 何をしても構わない …だから。

…違う、違うだろう? …違うんだろ? 俺は 俺だけは 信じてる …ああ、それなのに、 声も 顔も 仕草も

自分が惹かれも求めもしたものを自分は信じることができなかった、あるいは自分にとって信じることのできなかったものをそれでも自分は失うことに耐えられなかった、ということ。そのせいで、藤井は自分を責めている。彼女がどんな女だったのか、信じるに値しない女だったのか、失って悲しむに値しない女だったのか、そんなことにさえ今でも答えることのできない自分を、藤井は責めている。言ってみれば、迂闊だったのだ。だがもう遅い。

皮膚で明確に隔てられた個体に対しての限界。相手に対して、そして自分に対して、透明度のひどく低い視界の中でぼんやりと形を成すもの、が恋愛という現象に思えてしまうのは、多分「ほんとうは」よろしくない事、適切ではない事、なのでしょうね。

(あとがき)

ここにあるのは、人生がそういうものであり得るということに対する、悔恨というより非難である。一度始めてしまったら自分では決してやめることのできない自責というか自分自身に対する拷問の中に藤井を置いて、この物語が第2巻で見せた展開の中で描かれるのは、人生というものに対するひとつの非難なのだと思う。

なぁ 教えてくれ ここに居る 我々の反復運動(ルーティンワーク)は どこまで どこまで続けたら 許されるのか 期限がはっきりしなくて …苛々するんだ

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で、どうなるんだ、このお話?

(2013年5月)

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