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ラディカル・ホスピタル

日本語では程度のはなはだしいことを指して「カゲキ」と言うことがあるが、英語の「ラディカル」という言葉もいちおうそうではあるらしい。ただ"radical"の同義語は"extreme"だと書いてあるのを見ると、このマンガに描かれた病院が「エクストリーム」か?と言われたらやっぱり違和感はある。「程度の差こそあれ、外科って実際こんな感じのところじゃない?」と思うのはぼくだけだろうか。

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ぼくはかつてとある病院の外科病棟で1年間だけ働いたことがあった。そこは少なくとも西日本では「ほかでどうすることもできなくなった人が来る病院」で、ぼくはその職場とそこで自分に割り当てられた仕事に夢中になってしまった。

それで、大きな書店(当時京都には「駸々堂」という本屋があった)に行って医療とか看護とかいった本棚を眺めることをしていたのである。すると、岸香里という方が『天使のたまご』というマンガを描いていることを知った。それは看護師(その頃は「看護婦」と言った)の世界を扱った、言い方を変えれば「医者と患者以外の目線から病院を見た」、当時おそらく唯一のマンガ作品だったのではないかと思う。買ったか買わなかったかは覚えていないが、とにかくぼくはそれを興味深く読んだのを覚えている。

『天使のたまご』という作品は、いつもかなり明確に少女マンガ的なドラマツルギーに則って描かれている。いま「アマゾン」の検索結果に「ハートフル・ナースストーリー」という副題のついた版があるのを見つけるのだが、だいたいそういう話である(これはいま岸香里さんが『まんがタイムスペシャル』で描いている「白衣の男子」でもそうである)。岸香里さんは実際に看護師をされていた方なので、ぼくは「現実はいつだって『ハートフル』なわけでもないと思うのに、もっと違う落とし所の作品だって描けるんじゃないのかなぁ」と思ったりしたものである。ぼくは結構ヒドい話をヒドいまま描いた作品って好きである。「それで笑うか引くかは読者の自由じゃないか」と思うのだ。ちなみに『天使のたまご』の第2巻(続編扱いだったか)は精神科の話である。そのことを覚えているということは、きっとそこには「ハートフルでは済まない世界の片鱗」が描かれていたのだろう。

そういう特殊な状況ではなく、普通の内科とか外科とか外来とかについて、ぼくは自分自身「医者と患者以外の目線から病院を見」ながら、「ハートフル」とかいったのとは全く違う視点から病院を描いた作品ってあってもいいんじゃないかとずっと思っていたが、病院という職場で取り組んだ2つめの仕事に失敗して病院以外の職場に転職してしまって以来、ぼくはしばらく病院について考えることがなかった。

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ところで、病院で働いて覚えたことのひとつに「ファミリー4コマ雑誌を読む」ということがある。きっと休憩室や面会室にファミリー4コマ雑誌が置いてあったのだ。ぼくをファミリー4コマの世界に引き込んだのは有馬しのぶの『まちの愛憎くん』だった(ぼくはやっぱりヒドい話をヒドいまま描いた作品が好きなのだ。ちなみにこの作品は有馬しのぶの作品の中でもっとも「切れ味鋭い」作品だとぼくは思うのだが、残念ながらバンブーコミックは未完である。『愛憎版』が完全版かどうか、ぼくは確かめていない)のだが、そのうちなぜか妹が『まんがタイムラブリー』で4コマなんか描くことになって、竹書房の『まんがくらぶオリジナル』という雑誌(で梶原あやの「もしもしぐま」)を読むまでぼくはずっと芳文社派だった(しかしこのリンクの方のご意見だが、いやあ、「もしもしぐま」がアニメになったら、オレDVD買っちゃう)。

そうすると、ひらのあゆという人が「ラディカル・ホスピタル」というマンガを描いていることはもちろん知っていたのである。しかし、ぼくはずっと「ラディカル・ホスピタル」を読まなかった。かつてあれほど「医者と患者以外の目線から病院を見た作品」を探し求めていた男にして、「ハートフル」といったドラマツルギーとは違う方法で病院を描いた作品に飢え渇いていた男にして、そして当時、妹のマンガを読むべく毎月『ラブリー』を買っていた男にして、である。だが、マッキーが登場したとき、すべては変わった。ぼくは『ラディカル・ホスピタル』の単行本を買うようになったのである。ああ、マッキーはいい!ぼくは常日頃あんまり「萌え」とか言わないようにしているが、「現実にこんな女性がいたら絶対に好きになっているだろう」というキャラは、『少女セクト』の内藤桃子さん以外には、たぶん『ラディカル・ホスピタル』の牧村由香理さんだけだろう。

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「ひらのあゆさんは、『ヤマト』の同人誌でがんばってた人やねん。絵見たら分かるやろ」と妹が言う。「病院の関係者なんやろか?あれだけのネタをどうやって仕入れるんやろ?」という話をしていた時のことである。「枯れへんよね、あの人は」と言って、妹が継いだ言葉である。

たとえばいま、ぼくが読んで「これは名作よね」と思う4コママンガに、宮原るりの『みそララ』がある。それはそれは、すごい作品である。あれだけ笑わせてあれだけうならせてあれだけ感動させられるマンガというのはそうそうはない。そして、そのことの裏返しとして、『みそララ』を読むのは少し疲れる。

ひらのあゆという人の作品も、たいてい非常に密度がある。そして、そのことの裏返しとして、読むと少し疲れる。ぼくは『ルリカ発進!』を読んで少し苦痛だった。ぼくが長い間「ラディカル・ホスピタル」を読まなかった理由も結局そこだろう。ファミリー4コマ雑誌を手に取る人間が期待する以上に密度のあり過ぎる作品というのは読まれないのである。しかし、面白い面白くないを言えば、「ラディカル・ホスピタル」はやっぱり面白い。

ひらのあゆさんは4コマの上手な人である。ぼくは『迷宮書架』を買ったとき、「これは家宝にしよう」と思った。いま読むとそこまでは思わないが、それでも名作は名作である(おまけにネタがいろいろなので密度の割に疲れない)。

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『ラディカル・ホスピタル』は病院マンガである。病院という世界を、医者の視点というのでも看護師の視点というのでも患者の視点というのでもなく、薬剤師も栄養士も事務も設備係もみんな出てくる世界として描き切るという作品であり、患者さんも入れれば登場人物が数え切れないほどいるし(名前の出てくる個性的な患者さんも決してヤスじいだけではない)、医療なので時事的な要素もかなりあるなど、描こうとしている世界そのものが非常に豊かなので、作品の骨格が自分の密度に押しつぶされずに済んでいる。ひらのあゆさんという人はまっとうなことを言いながらそのこと自体で笑いを取るというスタイルなので、まっとうな話をする余地のたくさんあるモチーフが必要だったのだろう。『ひらのあゆスペシャル』なんかにインタビューがあったりするのをぼくは残念ながらあまり読んでいないのだが、「病院をモチーフにした作品を描け」と誰かが言ったわけではもちろんなく、そして「病院をモチーフにしてこんな作品が描ければ」みたいな抱負によるのでもなく、ほんとに「ここに病院(というか、外科病棟)がある」というだけの、ほんとにそれだけでこれだけのお話になってしまうという、そういう意味において「ラディカル」(徹底的)な病院のドラマである。

こういう枠組みを持った病院マンガはほかにない。そして、かつて書いたことがあるのだが、「ファミリー4コマというのはキャラクターや物語がシチュエーション(作品世界)の魅力を補完し続ける限りにおいて存続する」とぼくは思うのだが、そういう意味において、「これは病院を描いたマンガだ」ということを、ファミリー4コマの中で登場人物が白衣を着ているとかナースキャップをしているとかというレベルを超えて描いているマンガ自体がこの作品しかないのではないかとぼくは思う。この原稿を書いていて「看護系マンガ」というページを見つけ、たとえば『ちっちゃいナース』『天使のお仕事』に星が4つついているのを見てとても驚くのだが、まあそれは医療関係者の目から見て誠意ある取材に基づく作品は評価されるべきだという意味であって、病院という世界の描き方としてそれでいいのかというのは別のことだろうと思ったりするのだが不見識だろうか。ちなみに荻野眞弓さんという方は若い頃身体が弱く病院には縁のある生活を送られていたそうなので、病院という世界についてはそれなりにご自分として思うところもあるのかもしれないし、それが分かる人には分かるものなのかもしれない。荻野眞弓さんは好きなので補足しておく(ついでに言えば、佐藤両々さんはぼくにとっては『そこぬけRPG』の人である。何度も言うが、ぼくはヒドい話をヒドいまま描いた作品が好きなのだ)。

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余談だが、知り合いの名前でググることをぼくは「身内検索」と言っていてたまにやるのだが、大学時代いちばん仲のよかった男を「身内検索」してみたところ、東京出身のくせに九州で准教授になって医事法なんか専攻してると出てきた。「オレもあのまま病院で辞めずに頑張ってたらヤツとそんな話をしながら酒を飲む日もあったのかな」などと思う。ヤツも『ラディカル・ホスピタル』を読んでいるだろうか。読んでなかったら読むといいと思うので、このレビューはヤツに献げる。大人は、理由はどうあれ捨ててしまったものを、懐かしいからといって振り返ったりするべきではないのかもとは思うけれど。

(2010年1月)