カテゴリー「マンガ:かずといずみ」の3件の記事

くろよめ

Metoraba かずといずみさんの『くろよめ』を買った。今月は事情によりあまり金銭的余裕がないのだが、本屋で背表紙を見た瞬間に衝動買いしてしまったのだ。かずといずみさんのマンガはいつも、絵柄にせよ物語にせよ、分かりやすさと奥深さが同居していていいのである。やや値の張る本だが、中身は期待に違わないものだった。

個人的に書きたいことはこれで尽きているのだが、せっかくなのでもう少し紹介しておく。この本の中身は、同人誌に描いた「くろよめ」と商業誌に描いた「めとらば」の2本立てだが、どっちかというと、「めとらば」が「くろよめ」の後日譚というよりは、「くろよめ」が「めとらば」のプロローグという感じである。「つぼみシリーズ」なのだが、「くろよめ」は百合とは関係がない(いや、実際の女性同士の愛情というのはこちらの方に近いのかもしれないが)。「めとらば」は、どうだろうか、これが百合なら『三ツ星クリーニング』所収の「締め切りです」も百合だろうという感じである。百合百合な感じではなく、人の心がどこでどう通じ合うかみたいなところを楽しむ物語である(「百合」と呼ばれる作品には案外そういう「美しい親愛さ」みたいなものを描いて終わっている作品が多い。ぼく自身はそういう方が好みだが)。ちなみに「締め切りです」に出てきた「編集の河合さん」が「めとらば」の冒頭で小説家の担当編集として登場するので河合さんのファン(いるのか)は要チェックである。

しかし、こうやって書いていても思うのは、この『くろよめ』に興味を持った人はぜひとも『小さな惑星の小さなお話』『三ツ星クリーニング』は読んでいただきたいということだ。かずといずみさんがいかにいろんなことのできる人か、そしてそれでいて、何を読んでも「分かりやすくて奥深い」か、ということを、この2冊の作品集は物語っている。一方で、この人の絵の美しさと物語の奥深さをより楽しみたいという人には、やはり『貧乏姉妹物語』を読まれることをおすすめする。比類なく美しい作品であり、ぼくが『くろよめ』を買ったのも、根本的には『貧乏姉妹物語』の記憶があったからである。 Kazutoizumi_works

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ところで、『くろよめ』にせよ、以前レビューを書いた『エビスさんとホテイさん』にせよ、「つぼみシリーズ」って銘打ってあるけど、『つぼみ』って雑誌があるのか?と思っていたのだが、ナヲコ作品のレビューでご縁ができて以来愛読している『筆不精者の雑彙』で「墨東公安委員会」氏がときどき『百合アンソロジー つぼみ』というののレビューを書いてらっしゃることをここに来てようやく思い出し、「ああ『つぼみ』って、これのことかあ!」といまさらながら気づくのである。これまでのレビューで印象深いのはご本人が「気色悪い副題が付いている」とおっしゃる「百合アンソロジー『つぼみ vol.7』略感~百合のつぼみを召し上がれ」であるが(ここで出てくる「金針花」はぼくも好物である)、読み返してみるとここに「めとらば」前編についての墨公委氏の感想が書いてあって興味深い(後編の感想はご友人の方のブログにあるようなので、この機会にご紹介させていただく)。

(2011年5月)

小さな惑星の小さなお話/三ツ星クリーニング

Green アマゾンから届いた、かずといずみ『小さな惑星の小さなお話』『三ツ星クリーニング』。『貧乏姉妹物語』のアフィリエイト・リンクを作っていて、かずといずみさんに短編集があるのだと知って買った。『小さな惑星の小さなお話』、「発表会の日」「誰かが何かを隠してる」「緑色」がいいのだが(「緑色」いいよね)、この本でどれかひとつと言われたら、やっぱり「自由形1メートル」だろう。「うえけんの五万節」をちょっと思い出したりする超短編ギャグだが、いい。すごくいい。どうでもいいことだが、台湾は日本より暑い国だが、学生はちゃんと服を着ている。いかに温暖化が進んで日本がいまの台湾より暑くなっても、残念ながらこのマンガが実現することはないだろう(いやでもさ、ぼくらが中高生の頃、女子生徒がいまのようなちんちくりんのミニスカートを穿くのが普通になる日が来るとは想像もできなかったわけで、だから、分かんないよ?)。 Freestyle_1m

面白い面白くないを言えば『小さな惑星の小さな物語』の方が面白いわけだが、2冊並べて手元に置いておくと、手に取ることが多いのは『三ツ星クリーニング』である。なぜなんだろうか。4コマだからか。ぼくはそんなに4コマが好きなのか(好きだが)。しかしやっぱり、特定のキャラを使った4コマに必要なのは「シチュエーションの魅力を補完し続けるキャラ」で、「締め切りです」の河合さんがいいのはまさにこの点、「修羅場の編集者らしさ」で「修羅場らしさ」を盛り立てるからである。

(2009年2月)

貧乏姉妹物語

Humble_sister_story貧乏姉妹物語』。「マンガとしてヌルい」みたいなことをどこかで読んだのであまり期待せずに開いたのだが、最初の桜の話ですごい衝撃を受けて帰途同じ店で全4巻買ってしまう。「ああ、知ってる世界の話だ」と。

この作品を知ったのは『週アス』のこの記事を読んだからだ。ここには「優しさの琴線」という言葉が出てくるので、ぼくはこの話をずっと「優しい話なのだろう」と思っていた。だが、読み始めてすぐ分かるのは、この作品に直接的に描かれているのは「必死さ」、言葉が悪ければ「懸命さ」でもいいが、である。「そうよね、貧しいってそういうことよね」と思う。お金がなければ体力や時間でカバーしなければならないがそれだって無尽蔵にあるわけではない。そうすると人は「必死になって」何をするかというと「優先順位を考える」のである。そして、この作品の主人公たちは必死になっていつもまっさきに「愛を選ぶ」のであり、そこで初めてこの作品の感動が生まれる。でも、ぼくは思うのだが、貧乏が愛を濃縮していくその過程が「分かる」人でないと、この作品は面白くないのではないかと思う。「必死になって」貧乏から抜け出そうとして愛を捨てた人たちを、ぼくはたくさん知っている(言ってみれば父だってそうだったのかもしれない)。「貧しいことがいたわりを生む」みたいな甘ったるいヒューマニズムを信じている人にはたぶんこの作品は「分からない」。貧しさはふつういたわりと逆のものしか生まない(そう思わない人はきっと本物の貧しさを知らないのだろう)。「貧しくなければこの愛はこういう形ではなかったろう」ということと「貧しくなければこの愛はなかったろう」というのはすごく違うことで、前者は正解だが後者はまちがいである。根本的にまちがいである。前者が正解なのは、きょうが高校進学に際して叔母さんの援助を断ってしまうところに現れている。「いま、いっしょに生きて行きたい」と願う彼女たちにとって、豊かであることは意味のないことなのだ(いや、家賃は払いたいだろうが。電気は止められたくないだろうが)。「この子がいればほかには何もいらない」という言葉のいちばん健全な意味と、貧しさとはそもそも何かということとがきちんと結び合わさってこの作品は成立している。そして、それを両方ともに正確に理解したいと願って生きている人は、この世にはたぶんそんなに多くはない。「ふたりの花火」のカラー見開きをギャグだとしか思わない人って、いまの世の中にはきっとたくさんいるだろう。ぼくは京浜東北線の電車の中でこの見開きを見て泣きそうになった。『ローゼンメイデン』がきわめて深いところでぼくにとって大事な作品であるなら、この『貧乏姉妹物語』は端的な部分でぼくにとって大事な作品である。

第3巻は登場人物が増えるが、登場人物が増えて話が入り組んでくると、感情の交錯具合が「ああ、少女マンガだなあ」と思う。『とくべつな日』の反対で、『貧乏姉妹物語』は青年誌に連載されていても基本的には少女マンガなのである。上掲『週アス』の記事の中で「この漫画を女性2人に読んでもらった。……他の萌え漫画とは、明らかに異なる反応が女性に現れる」というくだりがあるが、それはこの作品が基本的に少女マンガだからという部分があるのではないだろうか。

「どこかで見た絵柄だなあ」というのと、第1巻のあとがきにある「この連載が決まった時には他誌で4コマ漫画を描いていた」というのとがひっかかっていて、ふと「かずといずみ」さんって、『ちょこパフェ』の「いずみ」さんか!と気づく。果たして「ウィキペディア」にそうだとある。

(2008年1月)