カテゴリー「マンガ:美夜川はじめ」の3件の記事

右脳少女左脳美女

『右脳少女左脳美女』。ううんんーー。「青いパラダイスデイズ」の「何か着替えはありませんか?」「白ソックスしかないよ」の次の見開きで大笑いした以外は「笑える」箇所はぼくにはなかった。嫌いじゃないのだがツボらない、というか「キャラの個性」と別次元のバカには惹かれない(似ているとは思わないが、ちょっと『つくねちゃん』のことを思い出す。ぼくはあの作品を手放してしまった)。特に、残念ながら「無関係な継続II」の黒さがとても気になる。ペットを失って壊れてしまったレビンソン先生の姿がなんか笑えない、だからラストがとても黒く思える(これを山本夜羽が描くと面白いかもと思うのはぼくだけだろうか)。それはそれとして、著者近影が「眼鏡女」なのは「あー、はいはい」みたいな感じなのだが(野郎なのにそういうことをする奴っているじゃん?みたいな)、あとがきで「ショタ漫画を描いていた」という一文を見て「え?本当に女性なの?」と思う。「あー、男の子がかわいいのはだからか……」と思う(「ショタマンガを描くのはつねに女性である」というのは偏見だろうか)。ネットで調べても分からないのだが、もし本当に美夜川はじめが女性なら、ぼくが自分として受け入れられるエロマンガ家は、いとうえい・けろりん・ナヲコ・井ノ本リカ子とあわせ、ことごとく女性だということになる(好き嫌いだけなら玉置勉強は絶対好きなのだけれど)。ついでに言えば「アイの館」で「何でドーテーって決めつけてるんですか!」「そっちの方が合ってるし!萌えるじゃなぁーい」とあからさまに書いてあって、「……やっぱ、この人のマンガの本当の眼目は『かわいい男の子』なんだ」と思う。だよね?やっぱそうだよね?

(2009年5月)

世界で一番好きな人妻/ディファレントビュウ

『世界で一番好きな人妻』。この作品の良いところは「男の子がかわいいこと」である。「なんじゃそれは」と思うだろうか、「男がエロマンガを読んで抱く感想がそれかよ」と思うだろうか。でも、すてきな女性をその気にさせるのがかわいい男の子だというのはたいへんよいことである。ブ男でもイケメンでもフェロモンムンムンでもダメ。かの『サルまん』に「少年マンガに必要なのは『メガネくん』だ」という話が出てくるが、美夜川はじめの描く男の子も、かわいいのだけれど、男性的な観点から言えば「ふつうなら主人公にはなれなさそうな」タイプであり、そういう男の子にすてきな女性が心を許すというのがこの作品集の持つロマンなのである(一方で、男の子がかわいいから、読み手にとって「ヒロインが汚されずに済む」し、何より「年上の女性がかわいい男の子を好きになる」ということ自体がとても自然だ)。

『ディファレントビュウ』。うぅんんーーー。「ひとの感情のむずかしい部分と上手に向き合うよなー」と思う。ただ「それをどう生き抜けばいいのか」という部分が描かれない、というのは、主人公たちがあまりに幼過ぎるからだ。「感情の真実と意志の未熟」、そのこととロリータ・コンプレックスというのとは関係があるのかもしれない。「たからもの」「世界のおわりでまってる。」、大人だったら乗り越えられる感情だと思うけれど、「ひとの心の中にあるもの」というか「誰もが一度は抱いたことのあるもの」であるのは間違いない。何というか、胸の苦しくなる作品集である。『からだのきもち』を読んで「テンション・ナビゲーション」にどこかホッとするのは、自分の感情の真実に自分で気づいていける余裕が登場人物たちにあるからだろう(その「テンション・ナビゲーション」を読んで胸が苦しくなるという人も世の中にはいる。大人である読み手にとってあまりに真に迫るテーマだからかもしれない)。「たからもの」についてのひとことに「おもいで。親が見たら泣くかもしれない。」と書いてあって「どういう意味だろう」と思うが、作品を読み返して「どういう意味であれ」泣くかもしれない、と思ったりする。そういう「感情というもののむずかしさ」を、この人は凝視し続けながら生きているのだろう。

(2009年4月)

美夜川はじめ

「鳩の切り売り・量り売り」というタイトルは、タイトル欄にも書いてあるが、元になった日記のタイトルが『遠くの人の、もの言わぬ鳩』だからである。これは「詩篇」の第56篇に「『遠くの人の、もの言わぬ鳩』の調べに合わせて」とあるもので、どうやらこういうタイトルの歌が古代のイスラエルにあったということのようなのだが、聖書から(それも『新改訳』から。『新共同訳』だと「はるかな沈黙の鳩」となる)取ってあるので、グーグル先生はこのブログをキリスト教がテーマだと思ってくれるようである。だから、「遠くの人の、もの言わぬ鳩」でグーグル検索するとこのブログが上の方に出てくるのだが、引かれているページが「小説:三浦綾子」である。しかし実際には今のところ、ぼくが自分で確認表示した以外に「小説:三浦綾子」のページを閲覧した人はいない。このブログに来るほとんどの方の関心は「オイスター 地獄少女」「いとうえい」「けろりん ラブフール」といったエロマンガ方面である。

ところで、そもそもぼくがどうしてエロマンガなんか読もうと思ったのかというと、ぼくは「性家族教会」のイガラシさんが好きなのだが(ちょっとアダルト寄りのイラストサイト。タイトルに「教会」とあるが宗教とは関係がない)、そのイガラシさんがある時期『快楽天』に描いていたらしく、ずっと「また連載しないかな」と思っていたのだが、ある時「イガラシさん抜きでいいから一度『快楽天』という雑誌を読んでみようじゃないか」と思い、酔っていたのか疲れていたのかいろんなことがイヤになっていたのか(そのどれもだと思うが)、「せっかくならこの際『快楽天』だけと言わずにエロマンガというものを研究してみよう」と思って、その時期近所の『セブンイレブン』で扱っていたエロマンガ雑誌をすべて買って読んでみたのだ。それで掘り当てたのが、八十八良「家庭内エロゲ規制法」、いとうえい「夏の終わり 夢の始まり」、けろりん「ラブフール」の3作だった、というわけである。エロマンガ雑誌はその後も少しだけ買い続けてみたが、この3作を超える作品に当たらなかったので3ヶ月ほどでやめてしまった。ちなみにその中でぼくがいつ読んでも何を読んでも面白いと思ったのは、美夜川はじめという人のマンガだった。つねに、エロマンガというよりはただのラブコメなのだが、なんか、そういうのがいいのである。

(2009年2月)