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同和と銀行

開設準備室の時代から三和銀行の学園前支店にいた父が淡路支店の次長になったのは昭和54年か55年のことである。近鉄沿線に住んでいた父にとって阪急沿線の淡路に毎日通うことは負担になったからか、父は淡路の駅前に四畳半の下宿を借りた。その下宿から父が引き上げてきたのがおそらく昭和57年の春だったから、父は『同和と銀行』の一方の主人公、岡野義市氏の前任者として、2~3年ほどの間「小西のおっさん」(『同和と銀行』のもう一方の主人公、小西邦彦氏のことを父は当時こう呼んでいた)の相手をしていたことになる。

ぼくが母づてに聞いた「小西のおっさん」の話はそんなに多くない。「口座を開かせてくれ」という「小西のおっさん」の希望を「三和がヤクザに口座なんか開かせられるか」と頑なに断ってきた、という話ぐらいである。この「口座」とは当座預金の口座のことであるが、『同和と銀行』を読むと最終的には当座預金の口座を開かせるよりもっとひどいことになっていったのが分かる。ちなみにぼくはこの頃「\200,000,000」(2億円)と書かれた何かを見ている。2億の金を一時に右から左に動かせる人間がこの世にはいるのだと驚いたものだ。

父はそのあと大阪府下で支店長を3行務めた。岡野氏と同じ四国の商業高校出だった父にとって支店長を3行務めるというのは異例なことだったらしい。そのあと父は「ダイヤモンドリゾート」に役員として送り込まれる。三和が融資するに足る会社であるか、融資するに足る会社にできるか、というのを見極めるためだったらしいが、父の目には全然無理に見えたようである。それで本店にそう訴えたのだが、バブル真っ盛りの三和は諦めがつかなかったのか、父はしばらく「ダイヤモンドリゾート」にいた。ここで父は「ダイヤモンドリゾート」の会長から下へも置かぬ歓待を受けたが、大酒飲みで気が荒かったにもかかわらずいたって潔癖な性格だった父にとってこういう杜撰な会社(いや、杜撰だったから左前になったのだろう)に居続けることはとてもストレスになったようで、当時50代の前半であったにもかかわらず、父は歯が全部抜けてしまった。結局三和は撤退を決め父は「ダイヤモンドリゾート」から引き上げるだが、そのあと「ダイヤモンドリゾート」の買収に乗り出すのがこれまた「小西のおっさんと仲間たち」なのである

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息子は銀行員を継がなかったが酒飲みは継いだ。それでその夜も酔っ払ってラーメン屋に入り『週刊現代』を読んでいて、『同和と銀行』の広告を見つけるのである。「アマゾン」で注文して母に届くようにしたところ、母はこの本を「3日で読んだ」そうだが、息子はその本を3ヶ月ぐらい手に取ることができず、手に取ってからも読み切るのにまる1週間かかった。

昭和の、大阪の、裏社会っていうのではなく日常的に転がっていたダークサイドを、冷静に、平明に、描き出した作品である。指導力のない行政、権威を傘に着る警察と税務署。まっすぐなものなど何ひとつなかった昭和の大阪で、何かをまっすぐに進めようと思ったら、「小西のおっさん」のようにカネと暴力を自由にできる人物の力が必要だったのである。そして「小西のおっさん」は地元の名士になっていく。強欲な産業界、カネの欲しい政治家、パトロンの欲しい芸能人、みんなハエのように「小西のおっさん」にたかるようになる。そうした「小西のおっさん」の活躍を影で支えてきたのが三和銀行だったとこの本は言う。「小西のおっさん」の仕事ぶりは当時の大阪ではふつうのビジネスだったのだ。実際、当時の大阪の雰囲気を知る者にとって、この本の第6章まではむしろ痛快にさえ思える。

やがてバブルの時代が始まり、銀行が「小西のおっさん」を利用するようになる。銀行自身が犯罪的なマネーゲームを繰り広げ、警察に目をつけられるようになると「小西のおっさん」に頼んでもみ消しを計ってもらう。経済ヤクザと同じようなことを銀行自身がやっていた時代であり、三和銀行はすでに「三和がヤクザに当座預金の口座なんか開かせられるか」と言っていた父の思っていた/信じていた銀行ではなくなっていた。父が「ダイヤモンドリゾート」に出向していたのと同じ時期、父の同期でパチンコ屋に役員として送り込まれることになり「どうして三和がパチンコ屋に……?」とたいへんショックを受けていた行員の方の話を聞いたことがある。地元経済に対して責任を持つのが銀行なのではないかと信じてきた「ピープルズ・バンク」の行員たちにとって、バブルの時代の三和銀行の変節は決して何でもないことではなかったのだ。

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そして三和がUFJになり三菱銀行に吸収合併される日が来る。三菱東京UFJ銀行ができるのが平成18年の正月で、「小西のおっさん」が逮捕されるのが平成18年の5月であるというのは決して偶然ではなかろう。三菱の首脳の中に三和の暗部というか恥部を粛清したいと考えた人たちがいて、この際「小西のおっさん」と一緒に三和の連中もブタ箱にぶち込んでやればいいんじゃないかぐらいに思ったのではなかろうかとぼくは勝手に想像する。

というのはこの年、三菱東京UFJの本部から父宛に電話がかかってくるのだ。「小西氏から利益供与を受けたことはありませんでしたか」というのが質問の内容だった。とうの昔に退職していた父はその頃すでに骨髄異形成症候群にかかって入院しており(年末には結核を併発して隔離病棟に移される)、電話に出たのは母だった。母は弱っている父にそんな話を聞かせられないと思い、「いいえ、受けたことはありません」と自分で答えた。実際、父は「小西のおっさん」のような人種と関わることを銀行員としてたいへん不名誉なことだと思っていたタイプの人間なので利益供与を受けるなど論外だったろう(というか父は岡野氏と違い「小西のおっさん」と親しくなることはなかった)。

三菱東京UFJの本部はきっと三和の本部よりコンプライアンスに対してずっと神経質だったのだ。ぼくは三菱銀行という会社の内情を知らないが、いま三菱重工のおこぼれを頂戴しながら暮らしていて、重工の人たちがコンプライアンス違反のような、自分で失点を稼ぐ間抜けな連中を腹の底からバカにしているということは知っている。そもそも、優秀な人たちの集まる組織というのは失敗に対しては不寛容なものだ。それで、三菱銀行の人たちが、ヤクザとつるんでバブルに浮かれた浅はかな三和の連中に対して「死ね」ぐらいのことを思ったとしても不思議ではないようにぼくは思う(あと、企業が合併した際、消滅会社の社員は存続会社からそれはそれはひどい仕打ちを受けるらしいとも聞く。三菱東京UFJの場合どうだったかは知らないが)。三菱東京UFJができたその年に「小西のおっさん」が逮捕されたのはそういう背景があるのではないかとぼくは勝手に想像するが、そのことに対する傍証になるかもしれない記事反論になるかもしれない記事をともに「ウィキペディア」から引いておく。

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初めて東京で仕事をした時「ここはなんて役人の強い街なんだろう」と思ったものだが、それに慣れてしまうと、この『同和と銀行』に書いてあるような大阪の、土地区画整理事業や同和行政に行政自身が民事介入暴力の助力を請うといった状況は当然おかしいのだと思うようになる。いまの大阪人がそういったことをどう考えているのかは分からない。この物語に描かれていることが高度成長からバブルの時代という歴史的な状況の中で生じたものでいまの大阪はこうではないということになっていればいいと思う。

(2010年6月)