カテゴリー「(墨公委先生協賛)」の12件の記事

鍋焼うどん探求・関西編

5年前(暦年)のへっぽこ協賛記事と3年前(これも暦年)のへっぽこオフ会記事のフォローをしたあと、今度こそ本物の「協賛記事」である。

「筆不精者の雑彙」の人気(?)シリーズ「鍋焼うどん探求」は次のような言葉でその幕を上げる。

小生は「鍋焼うどんが『鍋焼うどん』と認識されるのにはいかなる要素(具)が必要なのか」なる疑問をかねてより抱いており、……

鍋焼うどんの探求(1) キンレイの冷凍「鍋焼うどん」を食す

「何が入ってるか以前に、鍋で焼いてあるから『鍋焼きうどん』なんじゃないの?」と一瞬思う。が、それは間違いだとすぐ気づく。昔は知らないが、平成の日本には「すき焼きうどん」という料理があるのだ。画像検索してみると、鉢や皿に盛ったものも散見されるが、圧倒的に鉄鍋か土鍋で調理してそのまま供されるスタイルである。その点は「鍋焼きうどん」と同じだろう。だがこれは誰が見ても、名前も中身も味も「鍋焼きうどん」ではない。だから鍋焼きうどんにとって「鍋で供されること」は必要条件であっても十分条件ではない。ちなみにぼくは「すき焼きうどん」という料理を前職の通勤経路だった近鉄伏見駅前のそば屋で食べたことがある。実に美味で、そのとき出てきた奈良の清酒「生長」(蔵元は「創業永禄元年」だそうだ)といっしょに写真に収めたはずなのだが、いまいくら探しても出てこない。

じゃあすき焼きうどんと鍋焼きうどんを区別しているものは具なの?と思う。具以上に味つけが違うんじゃないの?たとえばすき焼きうどんは「すき焼き」という料理からかけ離れた味つけだと「すき焼きうどん」とは呼べない。また、ふと思いついて「煮込みうどん」で画像検索したところ、ほぼすべてが名古屋名物「味噌煮込みうどん」である。そう考えると、鍋焼きうどんというのは「すき焼きうどん」でも「煮込みうどん」でもない味つけであってこその「鍋焼きうどん」なんじゃないかと思うのだが、じゃあどんな味つけなのかというと、おそらくはふつうのかけつゆでうどんを煮込むのである。

ではふつうのかけつゆでうどんを煮込めば「鍋焼きうどん」の出来上がりなのかというと、素うどんを鍋で煮込んで「鍋焼きうどん」と呼ぶのはたしかに違うだろう。うどんと一緒に煮込む「何か」が必要なのだ。それを「鍋焼きうどんを鍋焼きうどんたらしめる具材」と呼ぶのが大げさなら、それが入っていることによって、味の点からあるいは見た目の点から「鍋焼きうどんらしさを演出できる具材」と呼べばいいかもしれない。

あるだろうなあ、そういう具材が、と思う。ためしに「鍋焼きうどん」で画像検索してみたので、ご覧になってどれが鍋焼きうどん「らしく見える」か考えていただきたい。一方で、「写真で見るのと実際に食べてみるのとでは違うだろうなあ」ということも思う。見た目が天ぷらうどんやきつねうどんやほかの鍋物みたいでも食べると「ああ、鍋焼きうどんやなあ」と思えるものも、またはその逆もあるような気がする。

そんなことを考えているうちに、ぼくも自分で鍋焼きうどんが食べてみたくなってきたのである。わが家は母が鍋焼きうどんを作る習慣がなく、ぼく自身もこれまで外食であえて鍋焼きうどんを注文することはなかったのだけれど、外食する機会自体はあるわけだし、最近はそういう場合でも「ぜひあれが食べたい」と思うようなものもないので、この際墨公委先生の「探求」に協賛というか便乗して鍋焼きうどんを食ってみるのも悪いことではないだろうと思うのである。

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しかし、墨公委先生の生活圏である東京23区のど真ん中と違い、いまぼくの住んでいる奈良の片田舎でどこに行けば鍋焼きうどんが食べられるのか。昔から独身者が多くそば屋文化の伝統がある東京と違い、田舎ではいま国道沿いのファミレスやファストフード店あるいはショッピングモールのフードコートでなければ、零細な飲食店はどんどん潰れている現状である。そういう田舎で鍋焼きうどんを食べようとすることは「いまを生き抜く昭和遺産」みたいな大衆食堂を発掘することにほかならない。で、そういう店で鍋焼きうどんを注文すると、墨公委先生が食べているものの半分くらいの値段しかしない。値段が半分だから、中身も相応に貧相である。協賛記事とはいえ、調査地域の性格上、元記事とはグレードにどうしようもない差があることを最初にお断りしなければならない。

ではさっそく「いまを生き抜く昭和遺産」の鍋焼きうどんをご紹介しよう。まず近鉄九条駅前「みかさ屋」の鍋焼きうどん、\600。

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京セラの携帯・K011で撮ったのだが、けっこう美味そうな写真だと思う。事情により携帯をスマホからガラケーに戻したのだが、auに移って以来ずっと京セラの携帯ばかり使っているのはカメラが気に入っているからである。

料理に戻る。具だが、

  • 玉子
  • 鶏モモぶつ切り(というか細切れ)
  • えび
  • かまぼこ
  • 梅焼き
  • しめじ
  • ねぎ

鍋はステンレスの小さい鍋。大衆食堂で「鍋焼きうどん」というと土鍋じゃなくてこういう金属鍋よね、と思うが、ネット検索したところいまも「アマゾン」で売っているので代表的と思われるものを3種類(その1 その2 その3)紹介しておく。大衆食堂でおなじみなのは「その1」のタイプだと思うが上の写真のものは「その2」のタイプである(ちなみに墨公委先生の写真によく出てくる「つるのついた民芸調の鉄鍋」のことは「いろり鍋」と呼ぶそうだ)。つゆは「ヒガシマル」か?という感じの甘くも辛くもないあっさり味。写真右の黄色いのは「梅焼き」という関西特有の練り物。関東の人には「だて巻きの親戚」と言っておくと話が通じやすいかもしれない。

味を左右しているのは圧倒的に鶏モモで、見た目を支配しているのは鶏卵とえび(えびは殻がついていないとだしは出ないと思う)、かまぼこと梅焼きとねぎは「うどん屋のお約束」である(もちろん練り物の味がつゆに出るのが「鍋焼きうどんらしい」のだけれど)。しめじはなあ……。「鍋焼きうどんには椎茸なんじゃないの?」と個人的には思う(「干し椎茸を戻したものを煮込んでダシを出す」イメージがなぜだかぼくにはある)のだが、代わりにしめじなのは、椎茸より安いからか、世間には椎茸の嫌いな人が案外多いからか(「椎茸の裏側のひだが気持ち悪い」と言った人にかつて出会ったことがある)。

次なる「いまを生き抜く昭和遺産」の鍋焼きうどんは大和郡山郵便局前「福助」の鍋焼きうどん、\500。

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一人用の土鍋のふたを取った瞬間「うどんが鍋で煮てあるだけやん!」と思ったが、冷静に見るとちゃんと具が入っている。

  • 玉子
  • 鶏モモぶつ切り(というか細切れ)
  • 刻み薄揚げ
  • かまぼこ
  • しめじ
  • ねぎ

煮てだしの出る具材はやっぱり鶏モモである。えびは値が張るので一人前\500の鍋焼きうどんには登場しない。代わりは刻み薄揚げ。刻み薄揚げは関西では「うどん屋のお約束」のひとつで煮込むと場合によってはかまぼこ以上に味が出る(ぼくが薄揚げ好きだからそう思うだけかもしれないが)。つゆの色が少し濃い目に見えるが、味はあっさりしている。関西のかけつゆはみりんのきいた甘いものを出す店が多かったように思うが最近はそうでもないようで、この店のつゆもさほど甘くはない。味としてはこれも「ヒガシマル」なのかなあ、と思う。きのこはここでもしめじ。しめじはなあ……。「うどんが煮てあるだけやん!」と思ったのもしめじに色がないからである。いや、食材としてしめじが嫌いなわけじゃないけれど、ここはやっぱり椎茸の出番じゃないかなあ……。

そういえば、墨公委先生の食べている鍋焼きうどんにはたいてい「とんすい」(「湯匙」あるいは「呑水」、鍋物を取り分ける、ふちの1ヶ所がちょっと伸びている小さな器)がついているが、大衆食堂の鍋焼きうどんにそんなものはない。鍋から直に食べる。れんげが鍋に直に突っ込んであるのはとんすいがないからである。

「いまを生き抜く昭和遺産」、みっつめは近鉄郡山駅前「まる万食堂」の鍋焼きうどん、\700。

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ホワイトバランスを間違えて色目が良くない。いいカメラでも使い方を間違えると台なしである。

  • 玉子
  • 豚バラ細切れ
  • 鶏胸細切れ
  • なると
  • かまぼこ
  • 焼きかまぼこ
  • 梅焼き
  • ねぎ

鶏がモモ肉から胸肉にグレードダウンしている代わりに豚コマがいっぱい入っている(さすが\700)。これでだしを出す算段である。「うどん屋のお約束」的練り物は豪華ラインナップ(ただし一枚一枚はペラペラ)である。ここは大衆食堂といえどメニューにいちおう「板わさ」があったりするのだ。キノコはない。野菜も青味にネギが少し入っているだけ。つゆはちょっと甘め。豚コマのおかげでボリュームがある気がする。

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ところで、個人的な考えを言ってしまうならば、「鍋焼きうどんらしさを演出できる具材」の筆頭に挙げるべきは、鶏卵である。生玉子を落としてほどほどに煮えているようすが「滋養があって身体が温まりそう」で鍋焼きうどんらしいのである。墨公委先生の食べたものには茹で玉子の半割りや出し巻きの入っているものもあるが、見た目で言えばどちらも「滋養」や「温かさ」の演出にはならない。上掲の画像検索でも落とし玉子のほどほどに煮えているものが断然鍋焼きうどん「らしく見える」とぼくは思うのだが、どうだろうか。

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近場で思いつく店を訪ね尽くしたところ、ちょうど彦根に行く機会を得た。城下町全体が昭和遺産と言っても過言ではないこの地方都市でいい感じの大衆食堂はいくつか思い当たるのだが、その中からとりあえず銀座街「ミツワ食堂」で鍋焼きうどんを食う。\800。ここの鍋焼きうどんは\180増しで「天ぷら入り」になるが、ミニマムでエッセンシャルな鍋焼きうどんには何が入っているものなのかという今回の探求の趣旨(……じゃなかったような気もするが)から、あえて天ぷらの入っていないものを注文する。

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「とんすい」がついてきたので大写しにしてみた。さすが\800。グラスが2つ並んでいるが、右は清酒(地酒だったが銘柄を忘れた、ちょっと甘口だが美味)である。

  • 玉子
  • 鶏モモ細切れ
  • かまぼこ
  • 梅花の形をした練り物か生麩(食べても何なのかよく分からない)
  • 干し椎茸
  • たまねぎ
  • ねぎ

「干し椎茸キター!!」というのが個人的な感想のすべてである。見た目もそうだし、食べてみた味の問題としても「やっぱり鍋焼きうどんには干し椎茸じゃなきゃ」と思う。さすが\800。

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そば屋・うどん屋においてえび天は「贅沢さ・豪勢さ」のアイコンなんだろう、と、「ミツワ食堂」のえび天オプションに接して思う。冒頭に掲げた鍋焼きうどんの画像検索だとえび天の乗っている鍋焼きうどんは少なくないが、そのことと鍋焼きうどんが多くの店においてほかのメニューより少し高めであることとは関係があるだろう。えび天を乗っけるから高くなるというより、煮込む手間ひまの分ちょっと高めの値段設定にしておいて、その分えび天もつけちゃう、ということではないだろうか。逆に言うと、えび天はあくまで「鍋焼きうどんを贅沢・豪勢な料理に見せる具材」であって、鶏卵ほどには「鍋焼きうどんを鍋焼きうどんらしく見せる具材」とは言えないんじゃないかと思う。

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ところで、ここまで「うどん屋のお約束」という言葉で片づけてきたものについて考えてみたい。

そば屋・うどん屋でものを食うと、それぞれの店にある種の「お約束」的トッピングがあるのに気づく。大事なのはそのトッピングが、見た目においても味においても、メニューの個性を左右しないということだ。大阪のとある立ち食いそば屋では、月見うどんにもきつねうどんにも天ぷらうどんにも「お約束」としてわかめがひとつまみ入っている。また社員食堂などでうどん・そばを食うと、素うどん・かけそばの類でもペラペラのかまぼこが1枚だけ「お約束」として入っている。ここで紹介したお店だと、郡山の「まる万食堂」では中華そばにも梅焼きが「お約束」として入っている。どれも、それが入っていることによって「わかめそば」にも「かまぼこうどん」にも「梅焼きラーメン」にもならない。入っていることが、メニューの個性からは無視されているのだ。単に、その店の「お約束」としてそれが入っている、という話である。茹で玉子の半割りが「お約束」である店もあるし、あるいはしめじがどうも「お約束」っぽいという店もある(以前彦根で食べた特注の天丼にしめじが入っていたことがあったが、あの店がそうであるようにぼくは思うのだ)。

鍋焼きうどんに実際に入っているものは、大半がそういう「お約束」のバリエーションなんじゃないか、という気が、ぼくはする。そして、いろんな店で鍋焼きうどんを食べて直面するのは、そういう「お約束」のバリエーションの広さなのではないだろうか。メニューの個性に貢献しないものをなんとなく入れること、そのバリエーションの広さによって、実際の鍋焼きうどんはできているような気がする。

ある店で「お約束」扱いであっても別の店ではそうではないという具材は結構ある。わかめだってふつうは「わかめうどん・そば」の具材だろう。薄揚げの刻んだのは関西では「お約束」であることもあるが、「お約束」ではなくてちゃんと「刻みうどん・そば」の具であることもある。墨公委先生の例だと、「かまぼこがないと鍋焼きはできない」とのたまうおばちゃんが登場する。どうもその店では特別に大きなかまぼこを使っていて、震災で三陸が被害を受けてそのかまぼこが入荷できなくなったため鍋焼きうどんができない、ということのようだ。この店ではかまぼこは鍋焼きうどんの個性を左右するのである。

「没個性的に何にでも入っているものを『お約束』を呼ぶ」と言っておきながらこう言うのも何なのだが、非常にポピュラーな「お約束」は、ポピュラーであるがゆえに「鍋焼きうどんらしさを演出する具材」であり得る。面白いというかややこしい話である。たとえば、かまぼこというのは世間的にはどんなうどん・そばにもかなり没個性的に入っているものじゃないか、そういう意味で「お約束」の代表格なんじゃないかと思うが(上記のように例外もあるが)、あまりにポピュラーな「お約束」であるがゆえに、逆にかまぼこが一枚も入っていない鍋焼きうどんというのも想像しにくい。没個性的に入っているだけなのに「あって当然」という感覚が醸成されることによって個性の一部になるという逆転。

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鍋焼きうどんにとって鶏肉は、いま言った意味での「お約束」ではない。どんなメニューにも没個性的に鶏肉を入れる店ってたぶんないし、鶏肉が入ることによって鍋焼きうどんは味においてその個性が増すのである。

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墨公委先生の記事を読んでいて、ぼくがいちばん不思議に思うのは麩である。先生の食べている東京の鍋焼きうどんに実にしばしば麩が入っているだけでなく、ご自分で作られる際にも麩を入れるのは定番であるようなのだが、ぼくはうどんにせよ寄せ鍋にせよ麩を入れる習慣がないし、ひとがそうしているのを見たこともない。うどんに麩?なんで麩?どういう発想から麩?落語の『時そば』にかまぼこの話が出てくるよな……と試みに検索してみると噺の原稿がいくつか出てくるのだが、その中に「ちくわの代わりに麩の入っている店があるがあれはいけないね、病人の食うもんだ」みたいなくだりが出てくる(昔の二八そばにはちくわが入っていたんだ、というのも驚きだが)。そばに合わせるのはイケてないと昔に思われていた麩がなんで今の鍋焼きうどんに?とますます疑問に思う。あるいは、鍋焼きうどん自体に病人食のイメージがあって、そこから麩を入れるようになったのだろうか、などと、さっき「滋養」という言葉を自分で持ち出した手前、考えたりもする。

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せっかくなので、京都と大阪で心当たりのある店を1軒ずつ選んで鍋焼きうどんを食べてみたい。まず京都、北大路商店街「あいおい」の鍋焼きうどん、\900。

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  • 玉子
  • 鶏肉細切れ(モモ・胸混在)
  • えび天
  • かまぼこ
  • 干し椎茸
  • ねぎ

\900になるとあえて注文しなくてもえび天がついてくる。「お約束」はシンプルにかまぼこだけ、だが厚みが違う。キノコはもちろん干し椎茸。そう、ここまできっちり\100刻みでグレードアップしてきて(別に狙ったわけではないのだが)、\900でついに鍋焼きうどんの「イデア」に到達した感がある。ちなみにこの鍋の底には大きな出汁昆布が1枚入っていて、なんとなく京都らしい。

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つぎに大阪、JR鶴橋駅前「味弥屋(みねや)」なのだが、まず先に「寄鍋うどん」\1,000を紹介する。

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なぜ鍋焼きうどんじゃないものをあえて紹介するのかというと、これまで\500から\100刻みでグレードアップしてきて、ここで\1,000のものを出したら「さすが\1,000する鍋焼きうどんは次元がちゃうなあ」という話になるかなあと思うからなのだが、実はこの店には「鍋焼きうどん」という献立は別に存在するので、この「寄鍋うどん」は値段が\1,000だというだけの参考商品である。

この写真では分からないのだが、箸で混ぜてみると次のような具が出てくる。

  • 玉子(半熟と全熟1ヶずつ)
  • 豚バラ薄切り
  • えび
  • はまぐり
  • かき
  • なると
  • 梅焼き
  • 白菜
  • ねぎ
  • わかめ

「これが寄鍋の具でございます」と言われたら「はあ、なるほど」というラインナップである。玉子が半熟と全熟の両方入っているのが、どういう発想なのか、ちょっと面白い。それはそれとして、この献立で気づいておくべきなのは、出汁がうどんつゆではないことだ。

実は、先に鍋焼きうどんを注文して食ったのである。ところが、今回の企画のトリを務めるにしては、\700という値段も、出てきた料理もなんかショボい気がしたので、コップ酒をあおって興が乗ったこともあり、せっかくだからと寄鍋うどんも注文してみたのである。ところが、まあ\1,000という値段に相応しい程度のゴージャスさのある寄鍋うどんを食べながら、いや、「これじゃなくてさっきのがあえて『鍋焼きうどん』と呼ばれているのはなぜか」を考えることこそ今回の企画にとっては大事なんじゃないか、と思えてきたのである。

では、その鍋焼きうどんをお目にかける。

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これも、いろんな具が下に沈んでしまっているのだが、サルベージすると次のようになる。

  • 玉子
  • 鶏モモ細切れ
  • えび
  • はまぐり
  • かまぼこ
  • なると
  • 梅焼き
  • えのき
  • 青菜(?)
  • わかめ

この「味弥屋」という店は、趣としてはまったく大衆食堂なのだが、本業はちゃんこ鍋なのである。はまぐりが「お約束」なのはそういう店の性格あってのことだろう。だがぼくが注目したいのはそういう点ではない。さっきのが「寄鍋うどん」でこっちが「鍋焼きうどん」であるゆえんは、ぼくの考えでは次の2点、あるいは3点である。

  1. 出汁がうどんつゆであること。
  2. 肉がかしわ(鶏モモ)であること。
  3. (おまけ)かまぼこが入っていること。

この1ヶ月鍋焼きうどんを食べ続けて、ぼくの思うに、「鍋焼きうどんの必須条件」はおそらくこの3点である。つまり「一人用の鍋にうどんつゆを煮立てて鶏肉とうどんを煮込みかまぼこを乗っけて玉子を落としてふたをすれば鍋焼きうどんになる」ということだ。そして、かの「福助」の\500鍋焼きうどんはまさにそういうものだったわけである。できればねぎ、できれば(干し)椎茸、できればえびかえび天、……というのはあくまで贅沢さの方向性なのだろう。しかし何より大事なのは鶏肉である。鶏のだしがうどんつゆに出る、それでこそ、うどんを鍋で煮込むことに意味がある。鍋焼きうどんとは「はじめに鶏肉ありき」なのだ。

このあと出てくる墨公委先生のデータを集計したグラフとの兼ね合いから、ぼくのデータもいちおう集計してグラフ化しておく。データそのものが少ないので、いま言葉で説明したことがそのままグラフになっているだけである。

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ところが、そう思って墨公委先生の記事を改めて読み返すと、墨公委先生の食べている鍋焼きうどんで鶏肉の入っているものは雰囲気4割ほどしかない。ええー?なんで?

「雰囲気」などと言っていても始まらないので、この際だからと墨公委先生の記事38件に出てくる具材をすべてリストアップした上で、とりあえずどんな具材がどのくらいの頻度で使われているかをグラフにしてみた。次に掲げるのはそのグラフのうち使用頻度が1割を超えるものについてである。

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1位から順に、かまぼこ・えび天・麩・玉子・椎茸・なると、ぐらいまでがおそらく「定番」である。長ねぎは58%だが、11%の太ねぎ(長ねぎより太くて少し甘味のあるもののことだろうか)と合わせると79%になりこれも「定番」と言って差し支えなかろう。それらに比べると、鶏肉47%というのは明らかに見劣りがする。これでは「定番」とは言えない。

ぼくは他人の作ったデータをとりまとめたりするのがほんとうはあんまり得意ではないので(何しろテキトーな性格なので元データの意を汲みそこねたり入力の際ケアレスミスを頻発したりするのだ)、こういうことをするのは墨公委先生に対してたいへん恐縮なのだが、にもかかわらずこういうデータを一所懸命作ってみたのは、あわよくば「うどんつゆが関東風か関西風かによって具材の使用頻度に変化が見られるか」を定量的に比較できるものならと思ったからである。ところが実際にやってみると、つゆの味をはっきり「関西風」と書いてあるものは、最初の「キンレイ」先生家伝のもの以外では「(3)釜あげうどん 高田屋」と「(30)蕎麦切 森の」の2例しかなく、残り34例と有意な比較にならない。一方、その34例の「関東風」の中にも味の濃淡にかなりバリエーションがあるようで、ほんとうはそれを加味すると面白い比較になるのかもしれないが、残念ながらつゆの味にコメントのないものもあり、今回はそこまでは踏み込めなかった。

だから、上のグラフは基本的に「関東風」のうどんつゆを前提にした具材だと考えていいと思うのだが、そうすると「なるほど、関東の鍋焼きうどんは『だしの出る具材を煮込んでつゆの味を補強する』という発想が特にないのだ」というふうに理解できる。もともとだしが濃いから、麩みたいにだしが出るというよりむしろだしを吸う具材を入れても大丈夫なのだ。ちなみに「関西風」4例は先生家伝のものを除いて麩が入っていない。そうだろう、そうだろう。この記事を書くまで「鍋焼きうどんに麩を入れる」などと思いつきもしなかったぼくは、関西人としてはふつうの発想の持ち主なのだ。一方、この「関西風」4例すべてに登場するのは椎茸である。記事によっては生椎茸なのか干し椎茸なのかよく分からないのだけれど、干し椎茸であればだしを補完する意味合いもあるのだろうと思う。一方、データをしげしげ眺めていると「えび天の入っていない数少ない例には必ず鶏肉が入っている」ことに気づいたりもする。もしかしたら「鶏肉を煮込むのと同じ効果をえび天を入れることで出すことができる」という発想があるのかもしれない。天ぷらの油で味にコクが出るわけだ。そう考えると、ぼくはえび天のことを「贅沢さ・豪勢さのアイコン」などと言ってきたけれど、いわゆる「お飾り」のように考えるのは違うのかもしれない。

また、料理の値段をパラメータに取って比較すると、というかぼくの食べたものが\1,000未満だったのでその比較対象として墨公委先生の38例を\1,000未満と以上により分けてみたところ、鶏肉の使用頻度について、\1,000未満の場合64%、\1,000以上の場合36%という数字が出た。料理の値段によって使用頻度がここまで大きく変わる具材はほかにない(あえて言えばたけのこや豚肉が、\1,000以上だと\1,000未満に比べて倍増しているが、いずれも倍増したところで使用頻度5割未満の「少数派」であることに変わりはない)。興味深い事実だとは思うが、理由がもうひとつピンと来ない。グラフを以下に掲げるが、\1,000以上だと鶏肉の代わりに何かが順位を上げているかというとそうでもない。えび天やうどんつゆのグレードが上がっているのだろうか。

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ちなみに、鍋焼きうどん1品あたり何種類の具材が入っているのかをヒストグラムにしてみたものを掲げるが、\1,000未満では圧倒的に9品、\1,000以上では8品を最大に9~10品のものも多い。これを上のグラフと見比べると、たいていの鍋焼きうどんには使用頻度が5割を超える「定番」の具だけではなく使用頻度5割以下の「少数派」の具もそれなりに入っているだろうと想像できる。だがそういう「少数派」のラインナップ(せっかくなのでこちらでその全部をご覧いただけるようにした)を見ても、鶏肉と同じくらいだしの出る肉類・魚介類がふんだんにあるかというとそういうふうにも見えない。

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こうやって関東風の鍋焼きうどんの具材を俯瞰してみるに、鍋焼きうどんというのは関東と関西では根本的に違う料理で、その大きな理由はうどんつゆが違うからだと言えそうだ。あっさり味の関西風は鶏肉や椎茸を煮込んでだしを補強しないとうどんを煮込むには味が頼りないが、しっかり味の関東風は何をぶち込んでもそれなりの味が楽しめる。関東の鍋焼きうどんで鶏肉が必須ではなく、代わりに麩がチョー定番の具材に躍り出る理由はそういうところにあるのではないかと、ぼくは想像するのだが、いやまあ、想像しているだけではほんとうのところは分からないので、一度は関東で麩の入った鍋焼きうどんを食べてみればいいのだろうけれど、この先関東に行く機会なんて、よっぽど一念発起しないとできないだろうしなあ(というか、もし東京に行く機会が得られるならむしろ池袋で食いそびれた狗肉をぜひ上野で食ってみたいと思うしなあ)……。

*

最後に、かねてから思っているのだが、「鍋焼きうどん探求」の特別編として、墨公委先生に一度「美々卯」のうどんすきをお召し上がりいただくというのはどうだろうか(上掲リンクは検索結果だが、その中でぼくがいちばん好きなのはこちらである)。「美々卯」のうどんすきは具材のほとんどが一度火を通した状態で出てくるようなので(ただし鶏モモ肉は生で出てくるのだ、「関西風」の理解として示唆的ではないだろうか)、先生の好まれる「渾然一体」を味わうのとは少し違う気もするのだけれど、かねてから関西に調査旅行に行きたいとおっしゃる先生にせっかくだから一度ご賞味を、と思っていたのだが、実は「美々卯」は東京にも支店がいっぱいあって、時間とご予算が許せば東京でも「うどんすき」をご賞味いただける。逆に言えば、あえて関西でお召し上がりいただくまでもないということだが、もし関西にいらっしゃる機会があれば、せっかくなので大阪で「関西風」の料理をということでお勧めするものである。

(2014年2月)

※2014年4月追記:ついでなので、ここに登場した大衆食堂で中華そばを食った記録を参考までに挙げておく。結構千差万別な感じの料理が出てきたのでお楽しみいただけるかと思う。コメントはリンク(『鳩の飲み過ぎ・太り過ぎ』)参照。

1.みかさ屋 Photo

2.福助

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3.まる万食堂

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4.尼ヶ辻・だるま食堂 ※この店には鍋焼きうどんがなかったので上の記事には出てこないが中華そばは実にユニークなので紹介しておく。

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クリスチャンとナショナリズム

2011年の11月に日本近現代史研究者・「墨東公安委員会」先生とお食事をともにしながらお話をさせていただいたことがあるのだが、そのとき墨公委先生からこんな質問というかネタ振りをいただいた。「近代化の中で日本にキリスト教が定着しなかった原因って何でしょう?」

ぼくはかねてから「開国後の教会が自分たちの歴史認識においていわゆる『きりしたん』の人たちを自分たちの直接の先祖だと捉え切れずにいることは『日本人とキリスト教』のイストワール(フランス語で「(過去と現在をつなぐものとしての)歴史=物語」、別にドイツ語の「ゲシヒテ」でもいいが)にとって非常に大きな損失である」と思っていたので、そのときもそういう話をしたのだが、あまりに実証を欠いた意見だったので、歴史の専門家に対してする話じゃなかったよなあ、と、以来ずっと心の奥底でひっかかっていたのである。

*

最近、中村敏『日本キリスト教宣教史 ザビエル以前から今日まで』(いのちのことば社)という本を読んだ。

どんな本なのか。「アマゾン」のカスタマーレビューを引いてみる。

この本は、日本でのキリスト教の歴史を俯瞰できる本です。かなり広範囲に目配りがされていて、大秦景教の影響と思われる部分から、日本ユダヤ同祖論の影響、ザビエル時代の伝道、徳川禁教令の影響下での信仰、明治期以降の信仰、大正期のリバイバル、15年戦争(いわゆる太平洋戦争)期のキリスト教と国家との関連、GHQと福音伝道、その後の伝道など日本における伝道の歴史をある程度ざっくり知りたい、という人向けには、情報満載の本です。……大量の文献を渉猟した労作だとは思いますが、限られた紙幅での書物なので、もう少し書いても良かったなかなぁ、と思いますが……

プロテスタントを中心にカトリックやギリシャ正教会のことを含め、日本のキリスト教の歴史を、ツボを外すことなく論述しています。……つい最近のことにまで踏み込み、リバイバルミッションなどカリスマ・ペンテコステ運動に関する動静も公平に記述しています。一方、日本基督教団の紛争問題や、しかし地方部では伝道の実を挙げている状況なども。福音派についてもそのプラス面と、ネガティブな面(ブッシュ大統領の開戦へのアメリカ福音派の後押しなど)にも触れています。

読者としてそれほど学問的訓練を受けていない教役者や一般信徒を想定しているからか、書き口は世間的に言うと「新書レベル」の概説書である。著者には『日本における福音派の歴史――もう一つの日本キリスト教史』『世界宣教の歴史――エルサレムから地の果てまで』(2点ともいのちのことば社)『日本プロテスタント海外宣教史――乗松雅休から現在まで』(新教出版社)といった著作がすでにあり、詳細はそちらに譲り今回は「ザビエル以前から今日まで」「景教から旧教・新教・東方教会まで」という大スパンで「日本のキリスト教の歴史を俯瞰する」ことを目指した作品なのだと思う。

……というのがこの本のひとつの側面なのだが、この本にはもうひとつの側面がある。いくつか引用してみる。

昔も今も、日本では皆と違ったことをするには、非常な勇気がいる。こうした、本音と建前を巧みに使い分けながら大勢につき、自分を守る国民性は、徳川二百六十年の治世において、上からの統制と五人組等の相互看視と長い鎖国の中で、身につけてきたものが多いと言えよう。そしてこうした国民性が、キリシタン禁制の諸政策からきていることを思うと、福音宣教はまさに日本人のメンタリティそのものへの挑戦と言うことができよう。(第2部・第4章 徳川幕府とキリスト教)

かつて日本の教会は、私たちの国が経済恐慌からの脱出を植民地拡大に求め、侵略戦争への道を進んでいったとき、その危険性を見抜き、預言者、見張り人としての役割を果たすことができなかった。今私たちはその歴史の反省の上に立ち、神から託された「地の塩」「世界の光」としての役割を果たすことが求められている。(第4部・第6章 21世紀を迎えた世界と教会)

ここでは、戦時中にキリスト教会が取った態度を個別に反省(悔い改め)することを超えて、戦時中にキリスト教会が受けた圧力の根源をさぐりそれと闘うという姿勢が「信仰において」必要だという考え(ここでマタ5:13,14の「地の塩」「世界の光」ということばを持ち出すのは、後述する「戦責告白」を単になぞっているだけでないだろう)が表明されている。その極端な例が「昭和天皇の死去と天皇の代替わり」という節における次の記述である。

昭和天皇の死と新天皇の即位について、日本のプロテスタント教会は総じて、昭和天皇を美化する動きを批判し、即位の礼や大嘗祭が国家行事として行われたことに対し、政教分離を定める憲法違反として激しく抗議した。またそれらの違憲訴訟の原告にキリスト者が加わった。……

かくして激動の昭和は幕を閉じた。天皇の代替わりは、やはりこの国において、天皇制とそれを支える国民の精神構造がいかに強固なものであるかを明らかにした。しかしキリスト者にとって、プロテスタント主流派、福音派、カトリックの枠を越えて、共通の課題に取り組むという貴重な連帯の遺産を残した。(第4部・第4章 1980年代の教会)

天皇制に反対することが正しいキリスト教信仰である、と言わんばかりの書きっぷりである。「そうなのか?」という思いを個人的には禁じ得ない。「信仰の位相」でクリスチャンとして日本の霊的状況を見つめ続ける中でこういう言い方に行き着いていく気持ちはよく分かる。しかし、それこそ「政治の位相」で天皇制に反対することが正しいキリスト教信仰であるみたいに言ってしまうのは、話がちょっと短絡的過ぎるだろう。たとえ今日から突然日本が共和制の国になったとしても、クリスチャンの目に日本の霊的状況はおそらく何も変わらない。「だったらあなたは天皇制を支持するのか」という言い方をするのは、それこそ信仰の位相と政治の位相をごっちゃにした議論である。ぼくはたしかに「政治の位相」では天皇制を否定しない。それを「政治の位相」で右寄りだ、反動だ、と決めつける人に、ぼくは反論しない。だがぼくは「信仰の位相」で神に従うと決めた結果、天皇制を否定しないことがとりあえずは聖書的だろうと理解しているのである。そのことと、生粋の「右翼」との懸隔は、少なくとも「政治の位相」からは理解できない(もし日本が共和制の国になる日が来るなら、粛々と従うだけのぼくと錦の御旗を掲げて抵抗するであろう「右翼」との違いは「政治の位相」においても明らかになるだろうけれど)。

ちなみに、この本を読んでいて興味深く思ったことがある。

この時期(引用注:1960~70年代)において特筆すべきことは、一九六七年に教団(引用注:日本基督教団)の執行部から発表された「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」である。……これは、戦後におけるキリスト者の戦争責任告白としては、最も早いものの一つであった。……「わたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたしどもの教会もまたその罪におちいりました」と認める。……この罪の告白は、世界、特にアジアの諸国とそこにある教会、そして日本の同胞に向けられており、……(第4部・第3章 1960年代から70年代の教会)

一九九五年は、戦後五〇年という節目の年であった。……この年の四月に日本キリスト教協議会、カトリック教会、日本福音同盟、日本友和会など九団体が共同して、「戦後五〇年を迎える日本のキリスト者の反省と課題」と題する声明を発表したことである。声明は、日本の教会が戦時中行った「天皇礼拝」が、モーセの十戒の第一戒を破る罪であったと述べている。……(第4部・第4章 1980年代の教会)

日本のキリスト教会が本来(すなわち「誰よりもまず神ご自身に向かって」)告白すべきだった「悔い改め」は1995年の「反省と課題」の方だろう。しかしそれが戦後50年経つまで告白されなかったとはどういうことか。戦時中を生きて「罪」を犯した人々自身が「天に召された」あと、その後継者によってはじめて神の御前に「反省」が告白されたということだろう。つまり、本来「罪」を犯した人々は悔い改めを告白しなかった、できなかったということである。

1967年の「戦責告白」はおそらくはあくまで「政治の位相」においてアジア侵略を「罪」として悔い改めるということである。だがどのような意味においても、どのような観点においても、どのような「位相」においても戦時下の自分たちの態度について悔い改めを告白するという行動に出ることのできなかった戦後の教会において、政治的な左派勢力の浸透(直接の契機はベトナム反戦だったろう)によって「政治の位相」においてにせよキリスト教会が戦時中に取った態度が「罪」にあたるのだと自ら告白したというのは神の目に、すなわち「信仰の位相」において、決して小さいことではなかったろうと思う。本当は教会が自分たちの信仰によってしなければならなかったことを、教会の政治的な左傾化がむりやりなし遂げたのである。それでも敗戦から22年が経過している。戦前・戦中の日本にあったキリスト教信仰って、いったい何だったのだろう。

*

このような『日本キリスト教宣教史』を読むと、かつて墨公委先生がぼくに下さった質問「近代化の中で日本にキリスト教が定着しなかった原因って何でしょう?」の答は非常に明確に出てくる。「近代日本において、キリスト教はナショナリズムの前に敗れ去ったのだ」、ということだ。

戦時下においてキリスト教が国家統制に甘んじるという形で国家神道に屈従しキリスト教信仰の本分を見失ったのは誰の目にも明らかなことである(日本基督教団の成立は1941年6月のことだとこの本にはある)。

だがナショナリズムとキリスト教の衝突はこのときはじめて起こったわけではない。「第3部・第5章 伝道不信の時代――一八九一~一九〇〇年の教会――」を読むと

この時代の極度の不振の原因は、国家主義的反動の激流の中でのキリスト教排斥の風潮であり、……

とあり、その具体的な内容として

この天皇制国家主義政策の仕上げが、一八八九年の大日本帝国憲法の発布であり、翌年の教育勅語の煥発であった。……

こうした背景の中で、かの有名な不敬事件が起きた。……一八九一年一月九日、一高で教育勅語の奉読式が行われた際、内村(引用注:鑑三。事件当時一高の嘱託教員)は教育勅語の親書に対して最敬礼をしなかった。人々の面前で、唯一の神以外は礼拝せずという、自分の信仰の良心に従って最敬礼をせず、頭を下げただけであった。……内村のこの行為はたちまち大問題になり、国粋主義思想に傾く教師や学生が、彼を国賊、不敬漢として激しく攻撃した。……この一高内における事件をある新聞が暴露的に報道した結果、多くの新聞や雑誌がこれを取り上げ、内村の行為に対する批難は全国的なものとなって広まっていった。……当初内村個人に向けられていた世論の批難は、次第にキリスト教そのものに向けられていった。……

このような風潮の中で、東京帝大教授である井上哲次郎は、一八九三年「教育時論」という雑誌に、「教育と宗教の衝突」という論文を発表した。彼の論点は、要するにキリスト教は日本の国体に合わないというものであった。……こうした井上の主張に対し、キリスト教会側は懸命に反論した。……論争を通して、大多数の国民の目には、キリスト教が反国体的宗教とのイメージとなり、伝道上大きなマイナスとなった。この事件を通して、キリシタン時代のキリスト教邪宗観がよみがえった感じすらあった。

といったことが書かれている。

なるほど、と思う。だがキリスト教にとっての「この時代の……国家主義的反動の激流」の核心を大日本帝国憲法や教育勅語といった「天皇制国家主義政策」に求めるのは少し的外れではないだろうか。

「1891~1900年」といえば、学校で日本史の時間に習ったイメージで言えば「日清戦争から三国干渉を経て日露開戦への世論が高まった時期」だろう。すなわち、政策としての国家主義というより、大衆の中にナショナリズム(ここでは別に「国家主義」と「ナショナリズム」を使い分ける気はない。『日本キリスト教宣教史』では一貫して「国家主義」と書いてあり、一般的には「ナショナリズム」と言うんではないか、ぐらいのことである)が高まった時代であろう。そして、この時期のキリスト教会がぶち当たったのは、政策としての「天皇制国家主義」というより、一般大衆の心理として「十字架より旭日旗の方がカッコよく見えた」という次元のナショナリズムの高揚だったのではないかと、ぼくは思うのである。

日本ではナショナリズムというと天皇制と結びつくので何か専制政治の親類のようなイメージがあるかもしれないが、フランスやアメリカの例を考えれば、あるいはのちのドイツの例を考えても、大衆が力を持つ政治環境があってこそ起こるものではなかったろうか。そしてそれは、日本における日清戦争から日露戦争への流れを考えても、おそらくそうだったのである。いまはっと気がついたのだが、『軍艦行進曲』ができたのは1900年だったと「ウィキペディア」にある。「真鉄のその艦日の本に仇なす国を攻めよかし」。悔い改めよ神の国は近づいた、などと言っている場合ではないと日本人が浮き足立った時代だったのである。その5年後に東郷平八郎提督が「真鉄の」連合艦隊を率いてバルチック艦隊を破りナショナリズムの興奮いや増すところにポーツマス条約が結ばれたとき、日本人が起こしたのは日比谷焼打事件だった。それは国家主義的イデオロギーあるいは政策の産物だろうか。おそらく違うだろう。

実のところ、自分や親兄弟息子娘の血を流してでも国威の発揚を願った20世紀前半の世界の(それこそ世界中の)人々を侵したナショナリズムという「熱病」を、21世紀の日本に生きるぼくたちはおそらく正確には追体験できない。だがその「熱病」なくして「世界大戦」などというものは起きようがなかったのである。そして、近代化の中で日本のキリスト教会が闘って敗れ去ったのも、天皇の名をかたったイデオロギーとしての国家主義というより、むしろこうした、当時の一般大衆ひとりひとりを捕えてやまなかった「熱病」とも呼ぶべきナショナリズムだったのではないかと、ぼくは『日本キリスト教宣教史』を読みながら想像するのである。

*

クリスチャンはナショナリズムをどのように捉えるか。

「国民国家にナショナリズムがあるのは自然なことだろう」と、市民感情としては思うが、これはぼくは21世紀の日本に生きて、特定の「国家主義」や「民族主義」と格闘する経験を持たないから言うことなのかもしれない。

一方、神は地上のどのような国、どのような王、どのような国民も滅ぼすことがおできになる。

なにゆえ、国々は騒ぎ立ち、人々はむなしく声をあげるのか。なにゆえ、地上の王は構え、支配者は結束して主に逆らい、主の油注がれた方に逆らうのか。「我らは、枷をはずし、縄を切って投げ捨てよう」と。

天を王座とする方は笑い、主は彼らを嘲り、憤って、恐怖に落とし、怒って、彼らに宣言される。「聖なる山シオンで、わたしは自ら、王を即位させた。」

……

すべての王よ、今や目覚めよ。地を治める者よ、諭しを受けよ。恐れ敬って、主に仕え、おののきつつ、喜び躍れ。子に口づけせよ。主の憤りを招き、道を見失うことのないように。主の怒りはまたたくまに燃え上がる。

(詩2:1-6,10-12)

国教がキリスト教であるとか、国の指導者・支配者がクリスチャンであるとか、国民の間にクリスチャンが多いとかいったことは何の約束にもならない。現にいま「主の諭しを受け」て「道を見失」わずにいるかどうか、大事なことはそれだけである。信仰とはつねにそういうものである。「行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。」(ヤコ2:17)アーメン。

したがって、「信仰の位相」においては、キリスト教信仰を侵蝕するようなナショナリズムは、「国家主義」と言おうが「民族主義」と言おうが、偶像崇拝である。たとえ宗教としてのキリスト教を隠れ蓑にしたとしても、神は特定の個人や集団、とにかく最終的に人間に帰されるものがご自分より高く置かれることをお許しにはならない。逆に言うと、神を押しのける、あるいは神をも隷属させようとする、ほどでもないナショナリズムは、国民国家においては自然なものだという理解が許されるだろうと思う。日本の国旗が「日の丸」で国歌が『君が代』であることについては異論があるかもしれないが、「日本には国旗も国歌もあってはならない」というならそれは日本が国民国家として存続する限りにおいては異常な意見だろう。

しかし、同じナショナリズムでも、「国家主義」が偶像崇拝であると言って目くじらを立てる人はあまりいない(さっきも指摘したが「国家主義」というと専制政治のイメージがあるからかもしれない)が、「民族主義」が偶像崇拝であると言うと異議を唱える人が現れるような気がする。

なぜなのか。それはひとつは、そもそもナショナリズムに言及するとき、「政治の位相」を捨象することができないから。もうひとつは、キリスト教会や個々のクリスチャンが「政治の位相」において何かを企て行動することが現実にはいくらでもあるからである。したがって、特定のナショナリズムに対してキリスト教会や個々のクリスチャンが「信仰の位相」において「偶像崇拝である」という指摘をするならば、それは不可避的に「政治の位相」において「キリスト教がそのナショナリズムに否定的な態度を取った」ことと理解される。それはもう、どうしようもない。

だから、ナショナリズムの是非について言及できるのは、現実には特定のナショナリズムが近代的な政治思想における「正義」にもとる場合に限られてくるだろう。たとえば近代的な「正義」のひとつであろう「民主主義」にもとるものとしての「全体主義」と結びつく限り、とか、同様の「正義」のひとつである「国際平和」にもとるものとしての「覇権主義」と結びつく限り、とかいった感じである。一方、「民族主義」というと、それは近代的な「正義」のひとつである「民族自決」のひとつのあらわれと見なされる限りは、それ自体「正義」なのである。

そうすると、一般論として「ナショナリズムは偶像崇拝である」という言い方をするならば、「キリスト教は近代的な政治思想において正義と見なされるものを神の目に適わないといって否定するのか」という話になってしまう。この意見に「政治の位相」で反論することはできない。なぜなら「偶像崇拝」という観念自体「信仰の位相」でしか説明できないからだ。「どのような民族の人々にとっても、まことの神に立ち返ることがその人自身にとっての幸いなのです」と言ったとして、然り(アーメン)と答えてくれるのは信仰のある人だけである。し、ややこしいのは、信仰があって「アーメン」と答える人にして、実は「政治の位相」で特定の(あるいは「すべての」)ナショナリズムが力を失うことを願っているだけという場合もあり得る。そうするとその人は、場合によっては信仰の名によって、近代的な「正義」である「民族自決」を踏みにじってしまうかもしれないということである。

考えてみれば、「信仰の位相」においても、何が神の目に良くないかを神ならざる人間がいちいちさばくのはおこがましい話でもある。人間のさばきはいくら聖書に照らして行ってもやっぱり人間のさばきであって神ご自身によるものではない。また、神のみわざは歴史の中に現れるものだけれど、実際の歴史の中に神のみわざを認めるのは信仰によるのであって、歴史の個々の事実について信仰のない人々に向かって「神はこのようにさばきを示された」などと主張してみせることもむなしいことだろう。

そう考えると、たとえクリスチャンであっても、「ひとの目に何が正義であろうと、御前に高ぶる国々を神はお赦しにならない」などと遮二無二言い立てるのではなく、自他のナショナリズムのあり方について、まずは近代的な「正義」の観点から顧みるところから始めるべきなのだろうと思うのである。

(2014年01月)

クリスチャンと社会運動・社会思想

去年もそうだったのだが、今年も新年最初の記事は墨公委先生のブログにからむところから始まる。性質の悪い話で恐縮である。

去年末、墨公委先生のブログの記事ランキングに「オタクとクリスチャンとミリタリーと」という記事が少しだけランクインしていた。これはぼくがかつて勝手に書いた「協賛記事」に墨公委先生がコメントして下さったものなのだが、その元の協賛記事については、おととしの「大そうじ」で削除してしまったのである。元記事がない状態で墨公委先生のコメントだけが残っている形である。

こんな古い記事、誰も読まないだろうと思ったからデッドリンクのまま放っておいたのに(いったい誰がどんな関心から読んでいるんだろう?)、これはまずい。去年の正月ほとんど同じ状況で「更新」記事を書いた天丼の話とこちらは訳が違う。デッドリンクを解消するためにとりあえず元記事を無理やり復活させてアップロードしたのだが、さてこのあとどうしたものか。

*

元記事を削除してしまった直接の理由は、その記事が「オタクとクリスチャン」というタイトルから想像される「オタク的世界観とクリスチャン的世界観の交錯」という壮大なテーマにとても見合わないシケた内容だったからである(そうなってしまった最大の理由は、ぼくが「オタク的世界観」を語り得るほどのオタクでなかったからだろう)。その後ぼくは医者から「初期分裂病」(「統合失調症の未病状態」なのだそうだ)と診断されて投薬治療を受けるに至り、自分の精神的負荷を下げるために世界との関わりを少し縮小することにしたのだが、その際ぼくは大ざっぱな意味で「オタクかクリスチャンか」という選択を自分に迫り、結果として後者を取ったのである(正確に言うと、「淡い色が分からない」「ひとの名前が覚えられない」というような状態の中で、自分として納得のいく「オタク的感受性」を維持できないと感じるようになったのである)。したがって、「オタク的世界観」を語る資格はいま、かつて以上になくなってしまったのである。

だからぼくのブログにはいま、ほんとうは「オタクとクリスチャン」というタイトルの文章はない方がよいのである。だがそれでは墨公委先生への義理が果たせない。

墨公委先生への義理。それを考えるとき、かの元記事にもうひとつ問題があったような気がしてくる。「あの文章は、ほんとうに墨公委先生の問題意識に沿っていたのだろうか」ということだ。

墨公委先生はいわゆる「最高学府」で日本近現代政治史を研究してらっしゃる学者の方である。そういう方が「オタクとクリスチャン」というものをひとつの対立項としてお考えになったところには次のような意識があったそうである。

日本のオタクの中には、……単純なエスノセントリズムから……、キリスト教を敵視する傾向はかなりよく見られ、切支丹伴天連を授候儀太以不可然候事、日本ハ神国たる処、……くらいの思い込みを持っている例は決して珍しくないように思われるからです。 (ナヲコ『なずなのねいろ』各巻のウェブ上感想リスト : 筆不精者の雑彙)

概して(統計的に示すことは出来ませんが)オタクはキリスト教を敵視する傾向があるからです。その直接の理由は、所謂「児童ポルノ法」の制定やその強化に、キリスト教系の団体が強く関わっていることにあるでしょう。その代表である「矯風会」の関与について説明したブログ記事を例として一つ挙げておきます(オタクとクリスチャンとミリタリーと : 筆不精者の雑彙)

こうして見ると(引用に際してちょっと意識的な省略を加えてあるが、今回の話の流れとしてこういう形で引用させていただく)、先生の思い描かれる「オタクとクリスチャン」の対立項には2つの側面があるように思われる。

  1. 保守的な政治信条の持ち主である「オタク」がそれに異議を唱える「クリスチャン」を敵視する
  2. リベラルな政治信条の持ち主である「オタク」がそれに異議を唱える「クリスチャン」を敵視する

墨公委先生の「オタク」観に相反する二面性があるということだろうか。いや、これはぼくの要約が良くないのかもしれない。墨公委先生が「オタク」のことを右寄りの連中だと思ってらっしゃることは「それでも、オタク達は『自民党』を選んだ 」(と、読むとそれこそ「SAN値が減少」しそうなその3つの続編)で明らかである。一方、「オタク」がリベラルということについては、あくまで2009-10年当時、表現規制の問題に関してそれに反対する動きがオタクというかクリエイターの人たちの間で高まったことに限られるのかもしれない。だがツイッターを拝見する限り、墨公委先生の周囲には実際「リベラルなオタク」の方もいらっしゃるようにお見受けする。

そして、その両方からそれぞれに敵視されるべき人々が「クリスチャン」の中にはいると墨公委先生はご覧になる。なるほど、たしかにそうだ。首相の靖国参拝や公費での忠魂碑建立や地鎮祭に反対するクリスチャンは現にいて、国粋的な信条をお持ちの方々からはそれこそ「日本ハ神國たる処きりしたん國より邪法を授候儀 太以不可然候事」という感じであろう。一方でクリスチャンの中には「神の家を思う熱心に食い尽くされ」(詩69:10参照)て聖書の教えや教会の信仰をいきなり社会問題に接ぎ木してしまう人々も現にいて、それがリベラルな文脈から社会運動に携わっている人々からは「当事者性を欠いた」(上の引用で墨公委先生が引いておられるブログの中のことば)固定観念を押しつけているようにしか見えないのであろう。

で?「そういう現状に関して、あなたはクリスチャンとしてどう思いますか」ということを、ぼくが書かなければいけないのだろうか?

おお……、できればご勘弁いただきたいところだ。ぼくはネット上で政治の話はしたくないのである。話は単純で、ネット上で自分の見識をひけらかすほどぼくは政治や社会問題に詳しくないし、それでも発言せずにいられないほどの熱心を政治や社会問題に対して持たないからである。

もちろんぼくも一市民であるので、参政権の行使が求められる場所でそれを放棄することはない。だがぼくはそれを「信仰に照らして私はこれこれの政治的立場を表明するものであります」と、それこそ聖句を並べて書き立てるようなことはしない。なぜときかれても困る。「政治とはそういうものだと私は思っているからです」ということだ。ひとつ言えるのは、ぼく自身はそう思っているせいで、教会で特定の社会・政治問題について「信仰による一致」をもって賛成して下さいという求めには応じない。とりあえず、これまで応じてきたことはない。

日本の教会は旧教・新教を問わず、戦時中に国家統制に甘んじたことを「信仰の問題として」不本意なことと考える(それはそうだろう、天皇陛下といえど人であって神でないのは政治の問題ではなく信仰の問題だったし今もそうである)背景から、政治的な問題に関してはどちらかというとリベラルな態度を取ることが多いような気がするが、クリスチャンひとりひとりについて見れば保守的な人もリベラルな人もいるだけでなく、正真正銘の「右翼」も「左翼」もいるのが実情である。正真正銘の「右翼」や「左翼」であることが一般的な教会の信仰告白と抵触しませんか?という疑問もあると思うが、その人が属している教会がいわゆる「聖なる公同の教会」に外れない(つまり「異端でない」)限り、そうした人々の信仰についてはいちいち疑わないことに日本ではなんとなくなっているように思う。言ってみれば「皮一枚でつながって」いればそれでオッケーということだ。たしかに、あとのことは神とその人との問題であるとしか、他人は言いようがない。

*

単に政治の位相においてのみ言うなら「私はノンポリです。右や左のクリスチャン兄姉はそれぞれがんばって下さい」というだけのことであり、それだけの文章ならわざわざ書くほどの値打ちはない。

だが、ぼくが「信仰によって」取る態度を「ノンポリ」という言い方で済ませてしまっていいのか、ということを少し考える。「私はその問題には『信仰による一致』をもって賛成することはできません」とぼくが言うとき、ぼくは信仰の話をしているつもりである。だがそこで問題になっていることが政治的・社会的な問題である場合、それは周囲からは政治的・社会的な態度表明(「賛成しない」という)に見えるだろう。「いや、そこであなた方が『信仰による一致』をもってなどと言い出すから話がややこしくなるのであって、ストレートに政治的・社会的な問題として語っていただければ、私もストレートに『賛成できません』と答えるのですよ」ということなのだが、クリスチャンの間だとそれがごっちゃになっていてもあまり気にせずに話が通じてしまう。

だが、クリスチャンとノン・クリスチャンが混じって政治的・社会的な問題を論じ行動するとき、クリスチャンの側で信仰の位相と政治の位相を個々に認識しておかないと、ふたつの位相にまたがって行動できるクリスチャンと、あくまで政治の位相においてのみ問題を論じ行動するノン・クリスチャンの間で行き違いが発生する。そのことに、クリスチャンは自覚的でなければならない。クリスチャンのモチベーションはノン・クリスチャンには分からないのである(Iコリ2:15)。

この問題について考えるときいつも思うことがある。「信教の自由」の問題だ。

「クリスチャンは信教の自由があるからクリスチャンをやっているのではない」と、ぼくは思う。だがそういうことを、自慢げに言ってはいけない、ということだ。

ほかの兄姉はともかく、ぼくは間違いなく「信教の自由があるからクリスチャンをやっているのではない」と断言できる。ごくごく個人的な問題として、ぼくは信仰を持って最初の4、5年間の間に味わったあのつらさ・苦しさを考えれば、それでも信仰を捨てるどころかますます強められたことを考えれば、信仰の成長したいま信仰によって誰からどんな目に遭わされてももうどうでもいいと思う。むしろ「目に見えるところどこを探してもひとかけらの希望もない」ことこそクリスチャンにとって喜びなんじゃないかとぐらい(たとえばヘブ11:1とか、あるいはハバ3:17-19とかによって)思う。だから、信仰の位相で言うなら「私の希望は神にあるのであって信教の自由にあるのではない」と言って、それで終わりである。信教の自由のない社会に生きたとしてもあるいは死ぬ(殺される)としても「生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです」(フィリ1:21)というみことばの真実があるだけである。アーメン。

だがこれを政治の位相で見るとどうか。「あなたにとって信教の自由がどうでもよいからといってこの社会が信教の自由を放棄することをあなたは見過ごしにするのか」と言われたら何と答えるか。

返答に窮する。ここで「あなたもまことの神を信じれば分かります」などと言うなら、1000年前ならいざ知らず、21世紀の今日なら暴言である。信教の自由という思想が獲得されてきた歴史を考えるとき、クリスチャンは迫害される側だっただけでなく迫害する側でもあったのである。信教の自由という思想はおそらく聖書から直接は出てこない。だがそれは間違いなく「正義」の一部である。非常につらいのは「正しい信仰を持っていれば、それが正義の重要な一部であることが理解できるであろう」という言い方が単純にはできないところだ。過去1000年ぐらいの間に主の御名によって信仰の異なる人々(新教・旧教相互、そして中南米のように異教徒)の血を流しまくってきた人々はすべて「正しい信仰」を持っていなかったと断言してしまっていいのか。獲得された正義の側から聖書を読めば、たしかに聖書はその正義を支持している。新約聖書は信じる者に対し異教徒との間に平和と寛容を保つよう強く勧めている(ロマ12:18、Iペト2:12)。だが1000年以上聖書を読みながら、教会はその正義を自分たちの信仰だけで自分たちのものにできなかったのである、現実問題として。

私たちが現に獲得しながら、教会が信仰によっては得ることができなかったものが今日の社会にはいくつもある。それを信仰の問題として消化していくことが今日の教会には求められているのだと思うが、残念ながらそうした試みがつねに十分に成功しているとは言えないように思う。「創造論と進化論」や「同性愛」といった問題もそうだし、「民主的とは言えない政権と教会との関係」といった問題もそうである。「信仰の真実は信仰の大原則に立ち返ることによってきっと明らかになる」とぼくは信じているが、それによって自分が今日世にあるすべてのものを信仰によって整合的に受けとめることができると断言することもできない。し、考えれば考えるほど「単純な整合性は取れない方が信仰としては正しいのではないか」と思えることもある。だから、分からないことは分からないまま、とりあえず「信仰の大原則に立ち返る」ことに努めるしかないが、その「信仰の大原則」自体自分が正しく理解しているのかという問題もある。

だから、「私たちが現に獲得しているもの」と「教会が自ら信仰によっては見出し得なかったもの」との界面でさまざまな試みに挑戦する兄姉のことについては、ぼくは「自分はそうしない」と思える人々についても、「主の祝福がありますように」と言うことにしている。そして、そういうことを考えるにつけても、自分が「信仰によって」何をどう受けとめているか、という話以外に、たとえば中途半端に政治や社会の問題について言及すべきではないだろうと思うのである。

*

そういえば、2011年の秋に池袋で墨公委先生とお会いした時、こういうやりとりがあった。その時のことを書いた記事から引く。

さて、キリスト教に関する墨公委氏のもうひとつの質問はこういうものだ。「キリスト教というのは信仰それ自体の中に社会変革を目指す要素というのがあるのでしょうか?」これは……例の東京都の条例のようなポルノグラフィの規制といった場面でクリスチャンが先鋭的な役割を果たすことがある場面も見受けられるのはなぜでしょう、という意味である。 

……ぼくは……自分自身の聖書理解から説明してみた。 「……自分がどういう立場に立つにせよ、『社会からつまずきを取り除く』という行き方自体をクリスチャンとして否定するというわけには行かないと思う。」 

墨公委氏は釈然としない顔をしていたけれど、それがぼくの説明自体に釈然としなかったからか、ぼくの説明は分かったけれど、クリスチャンがポルノグラフィを社会における「つまずき」と捉えることに釈然としなかったからか、それは分からない。……

犬がないならパンを食べればいいじゃない?(その2)

近代的な社会運動とキリスト教信仰を直結させた実例というものが、ぼくには思いつかない(あるのだろうけれど、残念ながらぼく自身そういうことに関する知識が乏しい)。たとえば、救世軍の廃娼運動がどの程度「近代的な社会運動」としての性格を持っていたのかは分からない。

もし、それがあくまで「御国が来ますように」(マタ6:10)という「主の祈り」の実行版として行われたことであるならば、リベラルな文脈に基づく社会運動の担い手から、上にも引いたが、「当事者性を欠いた二面性を持っていた」と評されることは決して意外ではない。そもそもそれは「信仰の位相」において着想され実行されたものであって「政治の位相」における成果は副次的なものだからだ。ほんとうは、実現されたことを通して「御国」の何たるか、いわば「信仰の位相で行動することそれ自体」の何たるかを世に示すことこそがそうした活動の究極の目的だったのだろう。だが多くの社会運動がむしろリベラルな文脈(それこそ「人権」といった、聖書からは直接は出てこない思想)から着想されたものであれば、本来「政治の位相」で理解されるべきことを「信仰の位相」で取り扱うこと自体が我田引水に見えてしまうのかもしれない。……一般論として語ることには限界があるなあと思いつつ、ぼくはクリスチャンとしてそんなふうに思うのである。

さて、「矯風会」の活動について、墨公委先生は以下のように推測しておられる。

……このようにキリスト教系の団体が、マンガやアニメを排撃する場合、その論拠は「道徳的」なものに置かれます。日本に於いてキリスト教徒の人口比は、うろ覚えですが確か1%にも満たなかったと思いますので、聖書の教義の偶像崇拝禁止を以て日本で「偶像崇拝に当たるからマンガやアニメはけしからん」という主張を掲げたところで、99%以上の人に対しては説得力を持ちません。そこで矯風会のような団体は、「道徳的」な主張を掲げることで99%の中の一部と結びつき、そしておそらくは、それによって自らの社会的プレゼンスを増大させようとしているのでしょう。ですがそうなると、それは宗教団体というより圧力団体としての活動が眼目となり、信仰との関係は薄れてしまうのではないでしょうか。

(オタクとクリスチャンとミリタリーと : 筆不精者の雑彙)

「クリスチャンとしてオタクであるところには偶像崇拝の罠がある」という話をしたのはほかでもないぼくの方なので、墨公委先生はそれを受けてこういうお話をされているのだと思うのだが、力点を偶像崇拝から性道徳に移すことによって「自らの社会的プレゼンスを増大させようとしているのでしょう」という墨公委先生の推測は、……どうでしょう?という感じである。とにかく「矯風会」についてぼくは何も知らないのでコメントする立場にないのだが、キリスト教系の女子教育と関係があったりするのなら(「ウィキペディア」の「日本キリスト教婦人矯風会」の項を見るとどうもそのように見受けられるが)、性道徳を正すことはおそらく信仰そのものである。したがってここでも、墨公委先生は本来「信仰の位相」で捉えられるべきところを「政治の位相」で捉えておられる(墨公委先生はクリスチャンではないのでこれは無理からぬことだと思う)。

こうした「位相の食い違い」を自覚的に受けとめていく姿勢が、社会運動に携わるクリスチャンには欠けているのかもしれないと、墨公委先生の書かれたものを拝読して、ぼくは思うのである。我田引水と見られようが「信仰の位相」においてものごとを貫徹することに意義があるのか、それとも信仰はあくまで自分たちのモチベーションにとどめて、活動自体は「政治の位相」において相応の文脈に落とし込み直すことがふさわしいのか、それはそれぞれの志の問題だろう。後者は既成の社会運動であるが、前者は言ってみれば「伝道」の一環である。伝道である以上、これまでキリスト教のなかったところにそれを持ち込むという「異質なものを持ち込むことの軋轢」は不可避的にあるのだと思うのだけれど、それを社会運動として「政治の位相」で捉えたとき「当事者性を欠いた」と評されてしまうというのは、社会運動としてはもちろんのこと伝道のあり方としても、重く受け止めるべきことなんじゃないかと、ぼくは思うのである。

もっとも、この「矯風会」の内実というのは、「信仰の位相」とか「政治の位相」とかいう以前に、結局のところミッションスクールで高等教育を受けるほどの「お嬢様」育ちのご婦人方が「えっちなのはいけないと思います」とかおっしゃっておられるだけのことなのではないかなどと思ったりもするのだが……。やっぱり、こういうことは書かない方がいいのだろうか。

*

この文章は年末年始の13日間連続出勤のあと眠れないのに任せて一気に書いた文章である。ほんとうはこれを第1稿として、もう少し消化した原稿を改めて書くつもりだったのだが、読み返しているうちに「改稿してもこれ以上簡潔にも明快にもならないよなあ」と思えてきたので、細部だけ調整してそのままアップしてみた。

信仰の「位相」、政治の「位相」という、抽象的だが結局のところ感覚的な表現を改めたかったのだが、自分の中ではうまく翻訳できなかったのでそのままにしておいた。「立場」という言葉で置き換えることも可能だとは思うけれど、政治の「位相」で信仰の「立場」を説明することも可能だよなあ、と思うと、「立場」ではぼくの言いたいことは伝わらない気もする。ここではむしろ、政治の「位相」でしかものごとを捉えたことのない方に「信仰の『位相』って何だ?」とひっかかっていただきたいのである。逆にクリスチャンの方には、とりあえず「位相」ということばの原義にこだわらず、Iコリ2:15の真実を自分の生活の中で見つめ直していただきたい。ノン・クリスチャンの方々を相手に「なぜ伝わらないんだろう?」とそれぞれの局面で思われた経験があるとしたら、その経験にかいま見られた乖離や断絶を、単に現象面からだけでなく、その根源まで全部ひっくるめて捉えようとするとき、それをぼくは「位相」の違いだと呼んでいるのである、と説明すれば分かってもらえるだろうか。

(2014年01月)

「グダグダにしないと壊れそう。」

2013年が終わる前に、ぜひとも書いておかなければならないことがある。

今年の2月、墨公委先生のブログにノーコメントで紹介されていた、ナヲコ『プライベートレッスン』のレビューなのだが、一読して思った、「ああ、そうなのか。」

このひとははっきりさせるのが怖いんだろうなと。言語化したがらないんですよね。……「好き」とか「嫌い」とかいう言語化する行為に対して体力が持たないというよりは、言ったら関係が終わっちゃうと信じてるフシもあるんですよ。

ナヲコ先生のコミックスはそういう発してるものに読者の自意識まで巻き込んでしまう繊細さがある。(上掲)

オレは、それに巻き込まれていたのだ。

だから、オレの書いた『プライベートレッスン』のレビューは、あんなにグダグダなのだ。

*

そのことを自覚したところで、じゃあ「巻き込まれず」にあの作品のレビューを書くとどうなるか。

やってみた。

はね先輩の演奏を聴くとり姉の横顔、「『いやあ、そうだろうねえ』と思う。」その上でラストのセリフ、「鳥子のセリフのようにも思えないだろうか?」

「言いたいこと」は、間違いなくこれで尽きている。もっと言えば、このレビューはたった2行にさえ要約できる。

うけとめているふりをし続けて 拒み続けてたんだ

「いやあ、そうだろうねえ」と思う。「そうだろうよ。」 

*

改めて『プライベートレッスン』を読み返し、オレのレビューがこの2行に要約できるというか、実際この作品自体、とり姉が「うけとめているふりをし続けて、拒み続けてた」ことを描いているだけだよなあ、と思う。

その上で、それに「いやあ、そうだろうねえ」と思う、のはなぜですか、と改めてきかれると、困る。

はね先輩やたまごが胸に秘めているものが分かるから、分かるから、拒み続けていた、そのとり姉の気持ちが、オレにも分かるから、である。

なんで?

「だって、読めば分かるじゃん。」

なんで?

そこでふと、答に窮する自分がいる。なんで「読めば分かる」のか。

感受性の問題として、作品に描かれているとり姉のことが分かるから、なのか、オレ自身が実際とり姉のような体験を重ねていまここにいるから、なのか。

ナヲコ先生のコミックスはそういう発してるものに読者の自意識まで巻き込んでしまう繊細さがある。

なるほどなあ、と思う。なるほどなあ。

*

「プライベートレッスン」というタイトルのレビューでは、書くべきことにたどり着けなかったのである。それで、「マリみてを知らない僕らだから」という文章を書いて、その文章の終わりにやっと書くべきことをねじ込んだ。

グダグダ、というレベルではない。

何だろう、自分のやっていることなのに、書くべきことが書けるようになるのを「待っていた」のである。立川談志のような噺家が、客に聴かせるためというより自分が噺せるようになるのを「待つ」ためにまくらをしゃべるみたいな、『プライベートレッスン』のレビューを書くのは、そういう体験だった。「マリみてを知らない僕らだから」という文章は、そうして生まれたのである。『ブルーフレンド』の話がしたかったわけでも、『ひみつ。』の話がしたかったわけでも、『少女セクト』の話がしたかったわけでも、それこそ百合の話がしたかったわけでさえない。「プライベートレッスン」というタイトルの文章ではたどり着けなかった話に、どうやったらたどり着けるだろうと、わざわざすっごく遠回りしてみたのである。

「マリみてを知らない僕らだから」というタイトルは「偽与野区役所」さんの『英雄(ヒーロー)にはなれない僕らだから』をもじったものである。今はYouTubeで公開されているようだが、もともとは日本のFlashアニメの代表作だった。実はぼくは全編通して観たことがないのだが、使われている音楽が印象的なのである。

『プライベートレッスン』のレビューに「マリみてを知らない僕らだから」というタイトルをつけたとき、あの曲が頭の中をよぎったかどうか、今となっては覚えていない。結果的に、「マリみてを知らない僕らだから」という文章は、ぼくの文章の中では比較的読まれることの多い文章になった。不思議な気がする一方で、あの文章はそれはそれはていねいに書いた文章だから、そういうところがひとから評価されるのかなあ、とも思う。ちなみにあの音楽だけを聴きたい方はTANAKA Uさんの「ぽっきーの小部屋」というFlashゲームで「ぽっきー」にピアノを与えて「ながい曲」をリクエストするといい。

*

そういえば、上掲「仮想指定」さんのレビューを読んで、面白いと思ったことがもうひとつある。

ヒロイン達は音楽が好きで音楽に関しては「好き」といえる。だから音楽を通してしか「好き」と相手に言えないんです。

恐らくナヲコ先生は言語の力と同じくらい音楽の力を信じているからだと思います。

ここまで来ると漫画で音楽を描くことが、ナヲコ先生の不特定多数の社会とコミットする方法じゃないかとも思えてきます。 (上掲)

墨公委先生から "voice/link-1" という同人誌をいただいて、レビューを書いたとき、「実は最初はこんなことを思っていたんだよ」ということを「おまけ」に書いた

いま引いた「仮想指定」さんの指摘を読むと、実はその「おまけ」に書いたことは間違ってなかったのだ、と感じる。

「ないと思っていた扉、それが HINA の声だった」というのをこの作品のキモだと思っていた

もちろん「このお話の主人公はあくまでもえとまもるであって HINA の声じゃない」というのも間違いではない。なぜかというと、まえがきに「つ、続き物になりました。」と書いてあるからである。読み切りだったら、この作品のキモはたしかに上に書いたとおりだったろうけれど、ふたりの関係が進展していく中で、HINA の声がずっと主人公であり続けることは考えにくかろうと思うのである。

続き物だということを念頭に置いて、何度も読み返して、冷静になれば、そういうふうに考えるようになるのである。だが、"voice/link-1" に描かれている「ときめきのクライマックス」は、やっぱり HINA の声あってこそである。この作品を単体で見るなら、そう考える方がやっぱり自然だろう。

そのことに、上掲「仮想指定」さんのレビューを読んで、気づくのである。

*

「マリみてを知らない僕らだから」。

「『いやあ、そうだろうねえ』と思う。『そうだろうよ。』」

女の子どうしが「恋」をする、なんて、ふつう一も二もなく受け入れられることじゃないだろうよ。

そういうことなのだ。読者が何を「百合」とみなすか、という話を、「マリみてを知らない僕らだから」という文章はしているが、それが「まくら」に過ぎないのは、ぼくがそこでほんとうに書きたかったことは、「とり姉が『拒み続けてた』ものこそ『女の子どうしの恋』すなわち『百合』そのものだった」ということだったのである。

書いてしまうと、あまりにもふつう過ぎる話である。そして、これだけでは、それにもかかわらずそのふつう過ぎる話でマンガを一巻成立させてしまう、とり姉というキャラの魅力がまったく分からない。

*

それを言葉で説明するのも無粋だと思う。思うけれど、ここまでポイントが絞り込まれてきたら、言葉で説明することも不可能ではないんじゃないか、そう思って、もう一度『プライベートレッスン』を読み返す。

そして気づくのだ、すべてははね先輩のピアノを聴いてとり姉が思わず涙したところから始まったのだ、と。

音を介して、とり姉とはね先輩、とり姉とたまごの関係がある。それを「仮想指定」さんは「ナヲコ先生は……音楽の力を信じている」と書いている。"voice/link-1" の場合はそういう言い方でいいと思うのだけれど、『プライベートレッスン』の場合はちょっと違うようにぼくは思う。はね先輩は、自分の音を聴いて、何かを感じてくれるとり姉が好きなのだ。たまごは、はね先輩の音を聴くとり姉を見て、いろんなことを考える。ここにあるのは「感受性が理解され合う」という局面である。そしてこれは、"voiceful" にも "voice/link-1" にもない。HINA をかなえに向けさせるのはかなえが HINA の声に感じたもろもろのことではなくそこからかなえが絞り出した「ヒナが生きていてくれてうれしいです」という言葉である。もえは、HINA の声に自分が感じることをすっとばして、まもるのことを見つめている。

『プライベートレッスン』はそうではない。はね先輩もたまごも音を介さずにとり姉を見つめるようになってしまう。けれどはね先輩の恋心を拒み続けるとり姉とはね先輩との関係が壊れずにいるのは、「とりちゃんのためだけにピアノを弾く」、そのこと自体はとり姉に通じているのだと、はね先輩が分かっているからである。とり姉の感受性を、はね先輩は信じているし、そのこと自体は、とり姉も分かっている。

互いの感受性を信じ合うことによって成り立つ関係。

それは、『プライベートレッスン』のレビューを書く場合、オブジェクト・レベルとメタ・レベルが入れ子になっている。はね先輩ととり姉、そしてたまごの関係がそうであるように、書いているナヲコ先生と読者との関係もそうである。そこを截然と描き切ることが、当時のぼくにはできなかったが、「批評と孤独」という文章でその問題をダイレクトに扱ったいまとなっても、ぼくにはやっぱりできない。『プライベートレッスン』のレビューである2つの文章のうち「プライベートレッスン」というタイトルのものが、この問題を扱っている。ドラマをたどっても信じられている感受性の輪郭にたどり着けないと、当時のぼくは思ったのだけれど(いま見たように冷静になればそれは不可能ではなかったのだけれど)、じゃあどうすればそれにたどり着けるのかということも分からない。そんな中で苦しまぎれに書いたことが

同じお話を、もっと「貧しく」描くこともできる、と思うと、ナヲコさんの作品を読むということは、結局はひとが生きて分かっていくことの豊かさに触れることだと知るのである。

という言葉だった。「ひとが生きて分かっていくことの豊かさ」それ自体がテーマとして描かれているのか、それともあくまで描き方の問題として「豊かに」描いているということなのかが、この文章の中ではごっちゃになっている。字面を読めばたぶん後者に読める。だが改めて考えれば考えるほど、この作品にとって感受性とはテーマそのものだし、ぼく自身はレビューを書きながら、そのことを意識していたのである。

*

こう考えると、「『プライベートレッスン』のレビューがグダグダだったのは、要はオレが未熟だったというだけのことだな」という気もする。レビューはレビューでひとつの文芸作品だということでいいのかもしれない。だが散文というものはやっぱり截然と論理的であってこそ散文だろう。そう考えると、「仮想指定」さんのレビューは、論理的かというと感覚的なところもあるけれど、作品の持つ力に抗して作品それ自体を言い当てるという点では、あきらかに截然としている。

一方、ぼくの書いた『プライベートレッスン』のレビューは2本とも失敗作なのだろう。あれは「ナヲコ先生のコミックスが発しているものに自意識まで巻き込まれた一読者の手記」である。もっとも、そこが世間の方々には「それはそれで面白い」と思っていただけるのかもしれないし、書き手としてはそれはそれでありがたいことである。

おまけ。というかこれがぼくにとっての「グダグダ」にならない『プライベートレッスン』のレビューなのかもしれない。

(2013年12月)

天丼の話、あるいは「記録は大事だよ」

ゆうべ、つまり元日の夜、どういう話の流れか酒を飲みながら母に「おととし池袋の中華料理屋でいっしょに酒を飲んだ東大の先生がインターネットで『鍋焼きうどん探求』という記事を書いてはって、その中で『カツ丼にグリンピースは合わへんのとちゃうか』という話をしてはる」というような話をした。母が面白がって「ほかに東大の先生の話はないか」ときくので、「あとは……先生は中国の焼酎が好きやなあ」とかお茶を濁しておいた(「戦車と少女という組み合わせのルーツは清岡純子やと主張してはる」などという話を母にしても「清岡純子って誰や?」という返事が返ってくるだけだと思うのでやめにした。ぼくは『私はまゆ13歳』や『プチトマト』をリアルタイムで知っている世代だが、それでも「少女と戦車で清岡純子」と言われてもピンと来ない。まだまだ研鑽が足りないようだ)。

そんな「墨東公安委員会」先生のブログで、ここ数ヶ月『神保町の「神田天丼家」(旧「天丼いもや」)移転 および天丼の雑談』という記事が記事ランキングの1位になっている。ここに、ぼくの『天丼』『「マメ(腎臓)と関西の天丼』という記事が引用されているのだが、2つとも去年の「大掃除」で削除してしまったのである。先生のブログ内にはほかにもこちらで削除してしまってデッドリンクになってしまっている記事が若干あるのだが、記事ランキングで1位になっているものにデッドリンクがあるというのも申し訳ない気がしたので、大した記事ではないが、ここに抜粋で復活させておく。文章は引用していただいているものでほぼすべてなので、この記事で復活させるのは主に写真である(ちなみに文章は再掲に際しちょっとだけいじった)。

*

「墨東公安委員会」氏のブログ『筆不精者の雑彙』に「鍋焼きうどん探求」という特設記事があって、そのひとつに

「蕎麦屋のラーメン」という探求も、いつかやってみたいと思っているのですが、小生は鍋焼うどんで手一杯です(笑)。どなたかブログのネタにどうですか?

(鍋焼うどんの探求(17) 味のデパート コシバ@川崎)

と書いてあるのを読み、蕎麦屋でラーメンかあ、と、かつて京急「逗子海岸駅」というのがあった頃には駅前ど真正面だったであろう場所にある「越後家」という蕎麦屋に行った(注:当時ぼくは逗子に住んでいたのである)。

出てきたものの写真を掲げる。

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正直言って、これを見た瞬間「ああ、この企画は失敗だな」と思った。鍋焼きうどんはその店の嗜好というか創意工夫を盛り込む余地があるのかもしれないが(実際何を煮込むとどんな出汁になるかを自分の舌で確かめるというのは貴重な体験だと思うが)、このラーメンは見てのとおり、世間で売っている業務用のしょうゆラーメンキットをそのまま調理しただけである。これに類するものはスーパーでも売っているので家庭でも再現できる。一軒だけで結論を出すのは早過ぎるかもしれないが、たぶん21世紀の蕎麦屋でラーメンを注文してもこういうマスプロ商品が出てくるだけじゃないだろうか。これでは、自腹で探求する企画としては割に合わない。もちろん、このラーメンだって三度豆(さやいんげん)が乗っていて創意工夫がないわけじゃないが、それはラーメンの本質ではないだろう。

さて、今日の本題は天丼である。

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なぜ天丼なのかというと、「越後家」で天丼を食いながら、「オレの心の抽斗にこの料理はないよなあ」と思うからだ。丼飯にてんぷらを乗せた料理が関西にないわけではなかったと思うが、この、あえて言えば「うなぎのたれ」みたいな、濃い色なのに全然塩辛くない(むしろ甘い)たれをかけて食うという料理をぼくは関西で見たことがない。天丼のチェーン店は大阪にも埼玉にも横浜にもあり、いずれも入ったことがあると思うが、こうやって「越後家」で食うものとはまったく違うものだったように思う。本当に、何だろう、「ご飯にてんぷら乗っけてもなじまへんやん」ぐらいにしか今まで思ったことがなかったのが、ここではちゃんと調和しているのである。とにかく、このたれに、他所で出会ったことがない。そしてこれがたぶん、蕎麦屋にしかないものなのだ。この不思議な体験をかみしめるべく、ぼくは8月は日曜ごとに「越後家」でこの「メガ盛り」相当の天丼を食った(そして9月の健康診断で「痩せろ」と言われた)。記憶がさだかでないが、たしか\940だ。

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この記事のあと、川崎に出かけたついでに天丼チェーン店「てんや」に入ったのだが、越後家の天丼と基本的に同じものが出てきてあわてた。何が同じかというとタレが同じなのである。「関東で天丼というとこのタレなのか」と思い、関西に戻ったとき、近鉄郡山駅前「天麩羅やぶ」(ぼくが子供の頃からある老舗)で天丼を注文してみた。\1,500。

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見た目では分かりにくいがふつうの天つゆがご飯にかかっている。そうだろう、やっぱりそうだろう。これが関西ではふつうなのだ。そして、単独で食べると塩味のきいている天つゆだが、ご飯にかけてしまうとぼんやりした味にしかならない。これだから、関西では天丼はあまりごちそう感がないのだ。ちなみにこの店のスペシャリテは実は天ぷらではなく「イカの塩辛」である(値段は失念)。おろしたイカに塩をして寝かせただけのものでワタを使わない。で、出すときに何か緑色の香りの高いものをまぶすのだが、今回注文してそれが刻んだ木の芽だということが分かった。この塩辛はビールや日本酒にも合うが辛い白ワインにもきっと合うと思う。申し訳ないが写真はない。天丼の写真の左奥にある割り山椒に入っていたのだが、天丼が出てくる前に右奥のビールをともに平らげてしまったのだ。

*

いま写真を見て、思うのは、墨公委先生のように「天ぷらのラインナップ」をリストにする習慣があればよかったのに、ということだ。酔っ払ってPCを持ち出し母にこれらの写真を見せたところ、母の質問はまず「何が乗ってるんや?」というものだった。実際、写真だけではエビが何尾なのかすら分からない。記事の中で問題にしているのはタレのことだけで、ぼく自身天ぷらのラインナップにあんまり関心がなかったのだが、母に言わせると「やぶ」の天丼は見たことがないくらいゴージャスらしい。参考までに、これもかつて別の記事に載せていまは削除してしまったものだが、京都のそば屋の天丼の写真を載せる。こういうエビしか乗っていない天丼がいまでも関西では一般的で、母も「天丼」といえばこういうものを思い描いていたわけである。

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ついでなので、これは初公開になるが、奈良のうどん屋で食べた天丼と、彦根のうどん屋で「天丼はないか」ときいたところ大将が特別に作ってくれた天重の写真も載せておく。どちらもつゆの中でネギを煮てあり、カツ丼の中でタマネギが煮てあるのをほうふつとさせる(ちなみに彦根のものはシメジがいっしょに煮てあるのが珍しい)。しかしとにかく、天ぷらについてはエビしか乗っていない。エビしか乗っていないから、彦根のように天丼がメニューになくても、天ぷらうどん用のエビ天があれば、作ってしまえるのである。

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「記録は大事だよ」という話である。蕎麦屋のラーメンにしても、墨公委先生はさるコメントの中で

蕎麦屋のラーメンはなかなか探求の対象にならなさそうのご意見ですが、小生が好きな瀧の家(探求(5))でもインゲンは入っていました。もしかすると蕎麦屋のラーメンでも、具に関して何か店の個性が出てくるかも知れません。

と書いて下さっている。そう、記憶を補完するのが記録の第一の目的だとすれば、その時には些末的にしか思えないことこそ、逆にちゃんと記録していく習慣をつけるべきなのだ。そんなことを、新しい年の初めにあたって、母と天丼の話をしながら、思うのである。

(2013年01月)

voice/link-1 と @maria

Voice_link01

墨公委氏からナヲコ先生の同人誌を2冊いただいた。貴重な同人誌をお送りいただいてたいへん恐縮しているのだが、せっかくなので、簡単ではあるがレビューを書いておく。

"voice/link-1"。「ないと思っていた扉があって、開かないと思っていたのに開いて、誰もいないと思っていたところに人がいた」、とりあえず、そんな出会いの物語である。「同じシンガーが好き」というだけなら「趣味が同じだと分かって意気投合しました」というだけの話だが、この作品がそれで終わりにならないのは、お互いがお互いに「私はこの人と出会えると思わなかった」というときめきを胸に秘めているからだろう。

そして、そのときめきのクライマックスゆえに、このお話はここで終わってもいいような気がするし、ぜひとも続きが読みたい気もするのである。

おまけもひとつおまけ

*

Worldsend

"worldsend"。とろくさい菜槻は小さい頃からしっかりした七瀬に面倒見られっぱなし。ところがある夜七瀬は珍しく酔っ払ってしまい菜槻は七瀬を自分の部屋に泊めることになる。二人でひとつのベッドに入って、酔いから醒めた七瀬は菜槻に何か言いかけるのだが菜槻が眠ってしまうので言葉を引っ込め、ただ菜槻の寝顔を見つめる。

それが、上のコマである。七瀬は菜槻に何を言おうとしたのだろうと考えるが、このコマに見て取れるのは、ただ七瀬が菜槻のことを「かわいいなあ」としみじみ思っているということだけである。そして気づくのは、七瀬はずっとそうしてきたのだろう、ということだ。七瀬が菜槻にずっと厳しく当たってきたのは、七瀬が菜槻のことをずっとかわいいと思ってきたからである。

そのことと、このお話のオチそしてタイトルとの関係はゆるやかである。その夜、世界が滅びると信じていなかったら、七瀬はお酒も飲まずハメも外さず菜槻と「一夜を共にする」こともなかったのだろうか、そして七瀬は、世界が滅びると信じて、今まで言わなかったひとことをあえて菜槻に告げようとしたのだろうか、そしてそのひとことって、結局何だったのだろうか。すべては読者の想像に任されている。

*

At_maria01

"@maria"。大学で知り合ったさかえから自分の長年の文通相手「まりあさん」をおとしめられて傷つく繭子。しかし実はそのさかえこそほかでもない「まりあさん」その人だった。いたたまれなくなったさかえはある日「まりあさん」として繭子の前に現れて積年の不実を告白する。

上のコマは、その告白を聴く繭子の眼である。ここにあるものは何だろうか。まず驚き。さかえが「まりあさん」であったという告白に対する、驚き。次に当惑。「まりあさん」のやさしさはうそだったのだというさかえ本人の告白に、「まりあさん」をおとしめた先日のさかえの言葉が重なって起こる、当惑。

そして、喜び。「本当のまりあはつめたくてうそつきだよ」といってさかえが泣くからこそ、繭子の心の中に沸き起こるのは、自分はほんとうに「まりあさん」に出会っているのだ、自分にとってずっとずっと特別だった人とついに対面しているのだ、という喜びなのだと思う。

その喜びが驚きと当惑を凌駕したとき、繭子は、さかえに向かって手を伸ばす。今まで「まりあさん」に対して決してできなかった「触れる」ことを、繭子はさかえに対してするのである。

At_maria02

「ずっと ありがとう まりあさん」。

*

この同人誌をいただいた際に添えられていた墨公委氏の手紙に、こういうくだりがある。

ナヲコ先生は先月もエンターブレインのアンソロジーにも作品を寄せておられ、引き続き同社の雑誌などに登場されるのかとの期待もある反面、ブログツイッターも長らく音沙汰なしで、いろいろと気が揉まれます。

これを読んでぼくが思うのは、ナヲコ先生がまたぼくのブログを目にされて、「批評と孤独」を読まれたのかなあ、ということである。「ぼくはこの『ありがとうございます』に、ご自分の道を行かれるナヲコ先生の後姿を見る思いがする。……ぼくも、ぼくの道をひとりで歩まなければならない。ひとりで歩まなければ、ぼくはぼくとしては、誰とも出会えない。」

ひとりで歩む方だから、「出会い」のもっとも美しい姿を描けるんじゃないだろうか。そんなことを、たとえば "voice/link-1" に、あるいは "@maria" に、思うのである。

(2012年12月)

批評と孤独

去年の秋ごろから「墨東公安委員会」氏とメールの交換をさせていただいているのだが、最近いただいたメールに、こういうくだりがあった。

なお、ご存じかと思いますが、昨年末にナヲコ先生がツイッターでつぶやかれていた「作品の感想 http://twilog.org/worldsend24/date-111226 」とは、内容からしておそらくとびさんの記事を指しているものと思われます。

拝見した。その日、ナヲコ先生はこんなことを書いてらっしゃる。

posted at 03:50:34
作品の感想を書いてくれてるページを見かけて泣いた;;確かにそうなのだろう、わたしは物語を語りたいがために漫画を描いているのではないのかもしれない。

posted at 03:50:54
だけどそれを受け止めてくれる人はそんなに大勢ではないのだ。そこをどうにかして大勢の人に受け止めて欲しいと思うより先に、そうでありながらこの先も漫画を描いていくにはどうすべきかを考えている。

posted at 03:51:10
だからわたしは商業漫画家としては弱いのだろう

(Twilog ホーム ≫ @worldsend24 ≫ 2011年12月26日)

……ナヲコ先生は、ぼくが書いた記事の次の箇所を読まれて、こう書いておられるのだろうか。

作者が、人間的にいろんなことを消化した上でこの作品を描いている。そしてそれを、いちいち説明しない。ひとはたいてい、自分が生きて何を分かってきたか、いちいち説明しないものである。だからこの作品も説明しない。マンガを描くということは表現の営みだから、作者が分かってきたことが作品の上にもちろん表われる。だが、このマンガにだってお話があるのだから、作者のとりあえずの仕事はお話を描くことであり、読者がとりあえずやることもお話を読み取ることである。その中にどれだけの「作者が人として分かってきたこと」がちりばめられているか、あるいはひそんでいるか、そしてそれを読者がどの程度読み取れるのか、というのは、お話それ自体にとっては本来は二の次である。

でも、ナヲコさんの作品は、そこが豊かなのだ。同じお話を、もっと「貧しく」描くこともできる、と思うと、ナヲコさんの作品を読むということは、結局はひとが生きて分かっていくことの豊かさに触れることだと知るのである。そういうことを、ぼくはたとえば冒頭の「お… ひとみしり」という鳥子のひとりごとにも思うのである。……

『プライベートレッスン』

墨公委氏の指摘が正しいかどうか、ぼくは確かめようもない。だがネット上でナヲコ先生の「作品の感想」を多く読んでらっしゃる氏がおっしゃるのだから、そうなのだろう。

ぼくの方こそ、胸がいっぱいになる。

「創作という営為が孤独であるように、作品を読むという営為もまた孤独なものである」と思う。そのふたつの孤独が、ここで無媒介に出会っている。ほんとうは「無媒介」であるわけがない。『プライベートレッスン』という作品があって、ぼくのブログとナヲコ先生のツィッターがあって、それを両方読んでいる墨公委氏がいて、こうやって実際に出会っているのだから、いま書いたもののすべては媒介なのである。だが、ツィッターで互いのツイートをフォローし合うという関係を「インタラクティブ(双方向的)」と呼ぶとすれば、創作という営為と作品を読むという営為とは本来はおそらくそうではない。作家は作家として、たったひとりで追い求めている何かがあって、読者はそこに、作品を通じて「分かる」こととは何だろうと追い求める。人間の営為として作品が成立しているという理解を欠いたところで作品を語ることはむなしいとぼくは思う。が、一方で読者の仕事は、必ずしもつねに「作家がたったひとりで追い求めていることの核心を射止めること」ばかりではない。現に成立してしまった作品は作家自身とは別の生き物であるのも事実だからだ。

だから、今回のようなケースは「創作という営為の孤独と、作品を読むという営為の孤独とが、無媒介に出会っている」と呼んでいいのだとぼくは思う。「邂逅」という言い方は少し違うと思う。作家と読者はこういう出会い方ができるのだと思うが、さっきも書いたように、こういう出会いを追い求めることが批評の理想なのかというと違うだろうとぼくは思っている。だが、こういう出会い方は間違いなく衝撃的だ。「泣いた」と書かれているが、同じように誰かに「泣かれた」ことが、ぼくはこれまでの人生ですでに何度かあったような気がする。気づくのは、気づかされるのは、孤独だ。作家がたったひとりで追い求めている何かの片鱗に触れてしまったとき、その何たるかを「分かろう」とし続けてきた自分もまたそれをたったひとりで追い求めてきたのだ、と知る。作家に対し作品に対し、いや「生きて生み出す人間の営為」に対し、まるで愛する人に声ひとつかけず指一本触れず愛し続けるような孤独の中で、自分が向き合ってきた、ということに気づく、気づかされる、のである。媒介は、今はたしかにある。いくつものテクノロジーが、何人もの人が、作家と読者をつないでくれる。だが、このブログの元原稿は基本的には日記なのである。誰にも読まれないまま、ぼくが死ねばPC本体とともに処分されただけのものなのである。そして大事なのは、にもかかわらず読んで、書いてきた、という営為が、ぼくの人生にはあったのだ、ということだ。そのとき、ぼくはずっと、ひとりだったのだ。自分にとって生きることはそういうことだと思って、ぼくはそうしてきたのだが、そうやって書いてきた文章を読んで、作家ご本人が泣いている、と言う。ああ、何という道のりだろう。たった一瞬の出会いに比べて、私たちがひとりで歩んできた時間の、何と長かったことだろう。

posted at 04:37:48
そうたくさんはいないはずの「見てくれる人」に、感謝してます…「生かされている」という言葉はこういう時に使うんだと思う。ありがとうございます。

(ナヲコ先生、上掲ツイートのつづき)

上掲ツイートのつづき、というかしめくくりなのだが、ぼくはこの「ありがとうございます」に、ご自分の道を行かれるナヲコ先生の後姿を見る思いがする。「あなたがいてくれるから、私は私の道をひとりで歩いて行けるのです」という意味の歌が、この世にはときどきあるよな、と思ったりする。

ぼくも、ぼくの道をひとりで歩まなければならない。ひとりで歩まなければ、ぼくはぼくとしては、誰とも出会えない。

※追記

冷静になってみれば、『プライベートレッスン』のレビューに関しては、墨公委氏というプロデューサーがいたから成立したわけである。だが、その墨公委氏に見出された『ボイスフル』『からだのきもち』『ディファレントビュウ』のレビューについては、ぼくが図面描きをしながらただ作品の力に突き動かされて日記に書いたことそのものである。今回の文章はやや感傷に流れて不正確なことを書いたきらいがないでもないけれど、ツイートに接して感じたことをいちおうそのまま書かせていただいた。最後の一文は、少なくともこのブログに収録された文章を書くにあたっては、いつも、そう、ただの日記の時代から、心においていたことである。

改めて、墨公委氏に感謝申し上げたい。あと、ナヲコ先生、いつまでもお健やかに。

(2012年03月)

マリみてを知らない僕らだから

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自分の金で酒を飲み始めた頃、入りびたった店に、ママがカウンターだけのスナックをショットバーにしつらえて学生にバーテンダーをさせる、という趣向の店があった。ママは遅い時間にしか来ないので、早い時間はその学生たちとしゃべるだけである。そんな中に、学校は忘れたがトランペットを吹いている男の子がいた。専門は音楽だったのだが、マンガとかにも詳しい、まあいま言うところの「オタク」である。あるときぼくが「『ガンフロンティア』面白いですよね」と言うと、彼は「松本零士の原点ですよね。男は殺す、女は犯る。」と答えた。鮮やかな答だと思ったものである。ちなみに当時「オタク」というのはもっと特異な人たちを指す、明らかな蔑称だった。

あるとき彼が店に彼女を連れてきた。眼鏡で乱杭歯の、ふつうなら「彼女です」と言われたら「ええー?!」というタイプの女の子なのだが(失礼)、ぼくは最初から気に入った。話していて分かったのだが、彼女も「オタク」だったのだ。「啓発」ということばの語感がぼくはあまり好きではないのだが、クリエイティブでありたいと願って生活している若者には、お互い焚きつけあうパートナーが必要で、彼女は明らかにそれに足る女の子だった。

その彼女とマンガの話をしていて、江川達也の『BE FREE!』について、彼女がこんなことを言った。

「私は伊福部昭子というのはいいキャラだと思うんですよ。もっと活躍させるといいと思うのです。」

当時のぼくは驚いた、と言ったら、今なら逆に驚かれるのかもしれない。しかし「ある物語の登場人物に、その人物がその物語の中で現に担った以上の、あるいは以外の、役回りを期待する」というのは、少なくとも当時のぼくにとってはあり得ない話だった。いや、これはぼくにマンガ雑誌を読む習慣がなかったからなのかもしれない。毎週週刊誌を買っているマンガファンにとって、来週起こるであろう物語の展開を想像することはまったくふつうのことで、彼女もそういう中で伊福部昭子に期待していたのかもしれないが、たしかその話をした時点で、『BE FREE!』はすでに10巻ぐらいまで出ていたのだ。

この、なんでもない会話が、その後ぼくの中にずっと、「ひとは物語の登場人物にどの程度まで想像をたくましくするものなんだろう?そしてそれは、どこまで『まっとう』なことなのだろう?」という問題意識を植えつけた。そして、ぼくは今でも、オタクの人たちの間ではいたって普通に存在する「二次創作脳」とでもいうものを、オタクの人たちと全く同次元で理解することはできずにいるのだと思う(同じ意味で、女子アナがタレント化するというのも、ぼくには理解できない。テレビ視ないから関係ないけど)。ぼくは『赤の7号』の愛読者で、あのサイトには「『シスプリ』のファンの中にはエロ同人を作品に対する冒涜だと思って受けつけない人もいるんだけど、自分としては『妹たち』に対するこういう愛もあるんだと思っているのです」みたいなことがどこかに書かれていて(ほんと?)「なるほど」と思ったりするのだが、それを「なるほど」で済ませられるのはぼくが結局のところ『シスプリ』を知らないからだけなのかもしれないと思ったりもする。

*

"HK-DMZ PLUS.COM" の11月16日の項に「りぼんで百合 ブルーフレンド3巻 『これが新世代の百合マンガ!』」という「アキバBlog」の記事が引かれていた。ぼくは引越の荷づくりをしていたのだが、「へえ」と思って新逗子駅の「いけだ書店」に行き、第3巻から読んでも訳が分からないだろうと第1巻から第3巻まで買ってきて昼食後読んだ。

うーん。

第1巻・2巻と第3巻は全然別のお話なのだ、と知っていたら、第3巻だけ買って済ませたのかもしれない、と思った。性的虐待で傷ついた女の子を友人が慰める、というのは「百合」ではないだろう。ぼくは同性愛の出発点に性的虐待があるということは、話にしばしば聞くだけでなく、実例としても知っている。同性愛うんぬんという議論の中で最初にあった性的虐待がうやむやになってしまうことは正しくないことだろうと、ぼくはずっと思っている。そういう、むずかしい場所にきちっと降り立った作品に対し(いや、絶対に力作なのだ、『ブルーフレンド』の第1~2巻は、ふつうの少女マンガとして考えれば)、あえて「百合」と言ってしまうことに、ぼくは抵抗を感じた。何か、二重に無頓着ではないか。第3巻はもっとかわいいお話なのかもしれないが、ぼくは結局第3巻を読まなかった。

で、池袋で墨公委氏に会ったとき、手土産代わりに3巻とも渡したのである。すると後日、氏から感想のメールが来た。

……この『ブルーフレンド』の良さもまた、「恋愛ではない」人間関係について描いているところにあると思いますので、帯にあるような、そして世間ではどうもそう読まれているらしい、「百合作品として」云々という読み方は、作品から得られるものをわざわざ狭めているように思われ、遺憾です。

「普遍に通じる」可能性を、ありきたりで実態として空虚なレッテルを貼り付けて済ませるほどもったいないことはありません。……

こうして読み返すと、氏はこの物語の中できちんと成立する友情の美しさに心を打たれているのだなあと思って、それはぼくが抱いたような、性的虐待に対する憤りとは方向が違うのだけれど、ともあれ「遺憾です」という表現のストレートさに、ぼくはとても納得したものである。

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性的虐待の問題を除いても、『ブルーフレンド』を「百合」と呼ぶことにはぼくは違和感があった(実は、読みながら思っていたのはむしろそっちの方だった)。「同性愛と云ふのは性愛あつてのことかと思ふので、乙女たちの友愛をさしてひとしなみに『百合、百合』と云ふのは違ふのではないかと私には思へてなりません」などと(なぜか旧かなで)思ったものである。

しかし、このブログでこれまで扱った作品でも、たとえば『ボイスフル』だって『百合姫』だし、『くろよめ』だって『つぼみ』である。「同性愛と云ふのは性愛あつてのことかと思ふ」というのは間違いではないと思うが、「百合」と云ふのも性愛あつてのことなのかと言われたら、ぼくは返答に窮する。いったいオタクの人たちにとって「百合」って何なのだろう?女の子が仲良ければみんな「百合」なのだろうか?

そんな話を、墨公委氏と会ったときにひとことだけした。「『マリみて』って、読んだことがありますか?」「いえ。」

『マリみて』を知らない氏とぼくは、結局自分の「百合」観で「百合」作品を読むしかないのだ。

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関西に戻って荷物を片づけながら、大朋めがねという人の『ひみつ。』というマンガを買って読んだ。

この作品に描かれているのは、「女の子を好きになる例のやつ」のおそらくとっても現実的な姿である。もなよさんは「男は嫌い。」なのだ。ぼくは女の子からホモだと思われて心を許され、ふつうの男だと知られて去られるという経験を一度ならずしている(これはぼくにとって二重にかなしい経験である)。だから、本当に男が嫌いな女の子がいるということをよく知っている。それで、思うのだが、このマンガって、セクシャリティに関して自分のことを男だとふつうに思っている男が読んで、面白いのだろうか?女性が女性を恋人に持つというドラマのとても現実的な姿を、この作品は独特の絵で美しく作品化することに成功しているのだろうとは思うのだけれど、この作品に登場する女の子たちとセクシャリティに関して同じような問題に直面したことのない男がこの作品を読んで一も二もなく面白いと言ったとしたら、それはどこか奇妙だと言わざるを得ない。いや、「ひとのセクシャリティというものに関心があるのです」と言われたら、まあそういうことはあるのだろう。ぼく自身がそうだったし、大朋めがねさんという方だって男性であるらしいとWebサイトにあるのだ。

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「女の子どうしの友情をひとしなみに『百合』と呼ぶのは違うのではないか。」「乙女達の同性愛を『百合』と呼んだとして、それは男にとって愛でるべき対象であり得るのか。」いや、冷静に考えればそうかもしれないところを妄想まみれにするのがオタクなんじゃないかと言われたらそうなのかもしれない。いま「腐女子 カップリング」でグーグル検索して出てきた「2ちゃんねる」のまとめサイトを読み、「マウスポインタとEXEファイルのカップリングにランタイムを割り込ませる」とかいうのを読みながら「……ああ、分かるよ」と思うのだ。小学生の頃、複雑な分数計算の問題を解きながら(答がたしか1なのである)、「追っ手を振り切ってお姫様を助ける王子様のお話みたいですね」みたいなことを言って、分かってくれる人が回りにいなくて驚いたことがあったな……と思うのだ。セクシャルな要素があるかないかは大きな違いかもしれないが、ことの本質は同じであるような気がするのだ。

*

今にして思えば、『少女セクト』というのは別に同性愛というものを問題意識を持って描いた作品ではなかったわけである。『マリみて』のことを「浮き世離れした」と形容した文章を読んだことがあるような気がするが、『少女セクト』だって十二分に「浮き世離れした」作品だったろうと思う。

あの作品で友情とか愛情とかが性愛に転げ落ちてしまうのは、ほぼつねに一方が「思いつめる」からである。そして、「思いつめる」ということ自体は、セクシャリティの問題を超えて男の心にも生じる。あの作品が人気を博したのは、絵柄といいキャラといいそのセリフ・会話といい、あらゆるものが「あざやか」だったからだと思うのだが、読者をあの作品に収録されたさまざまなお話につなぎとめていたのは、登場人物たちの「思いつめる」心の普遍性だったんじゃないだろうか。

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「何の話がしたいんだ?」と思われるだろうか。これは実は、『プライベートレッスン』のレビューの続きなのである。

*

…こんなこと 一生 人に言うつもりは なかったのに

そう言って、はね先輩は泣くのである。

とり姉はそれにどう応じるか。

うけとめているふりをし続けて 拒み続けてたんだ

「いやあ、そうだろうねえ」と思う。「そうだろうよ。」

でも、とり姉だって、乗り越えてきたんだよ。

拒み続けるものには、拒み続けるものなりの、乗り越えるべきものがあったんだよ。

*

『普遍に通じる』可能性を、ありきたりで実態として空虚なレッテルを貼り付けて済ませるほどもったいないことはありません。

「大事なことなので二度言いました」というのが、流行っているようである。ちなみに上の一文、ぼくはちゃんとQ要素でマークアップしている。 ひとの発言だし、本来の文脈ではないからだ。

*

はね先輩が演奏会で弾いていたのは、本当に『最後から2番目の思想』だったような気がしてきた。

「ユーチューブ」で右側に出てくる、チコリーニという人の演奏がすごくいい。前の記事にリンクを設けたので一聴されたい。

(2011年12月)

プライベートレッスン

Private_lesson01

ラストの

わたしたち 一緒にいても いいよね?

って、どっちのセリフだろう?

そりゃ、たまこのセリフなんだろうけど、鳥子のセリフのようにも思えないだろうか?

*

池袋で墨公委氏から『プライベートレッスン』をいただいたのである。それが「レビューを書け」という意味だということに気づくのはしばらく経ってからである。中華料理屋でビールを飲んで氏と別れ、赤羽の宿に戻って酔っ払ったままとりあえず読んで寝た。翌朝、東京駅に出て「ひかり」に乗り、車内でひと息ついてまた『プライベートレッスン』を読み返した。窓の外では品川と新横浜が後方に流れていった。前夜は雨だったのだがその日は朝から晴れだったのである。

「いい作品である。」のひとことでレビューを終えてはダメだろうか、と、これで見納めかもしれない関東の風景を車窓に眺めながら、考えた。

作者が、人間的にいろんなことを消化した上でこの作品を描いている。そしてそれを、いちいち説明しない。ひとはたいてい、自分が生きて何を分かってきたか、いちいち説明しないものである。だからこの作品も説明しない。マンガを描くということは表現の営みだから、作者が分かってきたことが作品の上にもちろん表われる。だが、このマンガにだってお話があるのだから、作者のとりあえずの仕事はお話を描くことであり、読者がとりあえずやることもお話を読み取ることである。その中にどれだけの「作者が人として分かってきたこと」がちりばめられているか、あるいはひそんでいるか、そしてそれを読者がどの程度読み取れるのか、というのは、お話それ自体にとっては本来は二の次である。

でも、ナヲコさんの作品は、そこが豊かなのだ。同じお話を、もっと「貧しく」描くこともできる、と思うと、ナヲコさんの作品を読むということは、結局はひとが生きて分かっていくことの豊かさに触れることだと知るのである。そういうことを、ぼくはたとえば冒頭の「お… ひとみしり」という鳥子のひとりごとにも思うのである。それはたまこが人見知りであることに鳥子が気づいたということだけではなく、それを鳥子がかわいいと思ったということでもあり、同時にちょっといじめてやろうと思った、ということでもあるのである。たったひとことだけど、ひとつの物語のすべてを決する、すごく鮮やかな幕開けだと、ぼくは思う。

あと、この作品はどの視線からでも読める。ぼくはこの作品を「たまこの視線から見たとり姉のお話」だと思う。そういう描き方をすることによって、あえてとり姉自身には語らせないままお話を進める部分が、この作品にはあるからだ。でも「いやいや、これってたまごちゃんのお話でしょ?」と言う人は当然いるのだと思う。この作品の中では、誰もが誰かに見られ、誰かに想われているのだ。たまごもとり姉も、はね先輩も、籠原さんも、みきちゃんも。だから、この作品が誰のお話に見えるかというのは、結局のところ読み手の心が誰に傾いているかによるのではないかと思う。そして、ぼくの心はもちろんとり姉に傾いているのである。

そうしたことに気づいた上で、ではぼくがこの作品に気づいたこととか、この作品は結局どういうお話だと思うのかとか、そういうことをひとつひとつ書いていく必要があるのかな、と思うのである。そういうことをいちいち言わなくてもいいように、この作品はできているのだ。この作品は、なんというか、そういう「ふんわりと多面的で奥深くできている」のです、と言っておけば、あとのことは読み手の心の中にありさえすればそれでいいのではないだろうか。

*

こんなふうに考えたのは、別にそのとき前日の酒が残っていてレビューを考えるのがめんどうくさかったからではない。ナヲコさんに『ボイスフル』という作品があるが、あのお話のコアはたったひとつ、ひなの声である。マンガだから、声を描くことはできない。だが、心が叫ぶことを知っている人は、その声を聴くのである。その声を聴くかどうかで、あの作品が心に響くかどうかが決まる(「その声が聞こえるかどうか」ではない。聞こえている耳をあえてふさぐ人だって、あの作品の前ではいるだろう)。

『プライベートレッスン』はそうではない。だから、この作品が「ふんわりと多面的で奥深くできている」というのは、この作品のれっきとした特徴である。

*

この作品が「ふんわりと多面的で奥深くできている」ところには、作者が読み手の感性に期待というか安心しているところがあるのかな、と思ったりする。つまり「こういう描き方でこのマンガの読者は分かってくれるだろう」ということだ(そして、ぼくの記憶にある『なずなのねいろ』という作品には、そういう安心感に基づく表現の余裕というものがなかった。版形が小さいのでそう感じるという部分もあったのかもしれないが)。もしそうであるなら、それはまず何と言っても「百合専門誌」という掲載誌の性格によるのだろうが、それとあわせて、今回モチーフになっている音楽がピアノであるということは、関係があるように思うのである。この作品に描かれている、ピアノを弾いたり聴いたりという体験は、『ボイスフル』で描かれているような次元の、歌を歌ったり聴いたりする体験(ひとをハッとさせられるほどの歌を歌える人に出会うことはまれだとぼくは思う)、あるいはそれこそ『なずなのねいろ』の、三味線を弾いたり聴いたりする体験よりもずっとポピュラー、日本語でいえば「敷居が低い」ものである(そう、「なんで三味線なんだろう」と思ったものだ、『なずなのねいろ』を読んだときには)。つまり、読み手の多くの人が、自分のピアノ体験に引きつけて、この作品を理解できるのだ。

ぼく自身はピアノのボキャブラリーがひどく偏っており、『プライベートレッスン』で弾かれるはずの曲を場面ごとに適切に思い浮かべることができない。とり姉がたまごに初めて弾いた曲は、kotokoさんの『覚えてていいよ』だったのだろうか、と思ったりする(生粋のロックピアノというと、ぼくはあれしか思い浮かばない)。そして、はね先輩が演奏会で弾く曲は、「静かな音だ…」と言われると、エリック・サティの『最後から2番目の思想』なのだろうか、と思う(『ノクチュルヌ』より『最後から2番目の思想』の1曲目の方が、ぼくの中では「静かな曲」なのだ。ちなみに『アヴァン・デルニエール・パンセ』って、本当は「ふたつ前に考えたこと」ぐらいの意味なんじゃないんだろうか)。なんか、連想が極端過ぎるのだが、その間に適当な音楽が思い浮かばない。そして、『バイエル』というと、ぼくは1番の「ドレドレドレドレ、ドレドレドレドレ、ドー」しか知らない(いまは「ユーチューブ」というものがあるので「78番」がどんな曲かということもちゃんと分かる)。仕方がないので、この作品全体を通じて、バッハの『二声のインヴェンション』を頭の中でBGMとして流すことにするのだが、「この作品が念頭に置いているのは、バッハじゃないよなあ」と思う。

世界中のひよこピアニストに「ピアノを弾く」満足感を味わわせた音楽家として、ぼくらの世代には、リチャード・クレイダーマンという人がいたなあ、とぼんやり思い出す。『バイエル』にてこずっている人が楽しく弾けるアニメの曲、というのがぼくにはパッと思い浮かばないが(だいたいそんな「誰もが分かるアニメの曲」というのが『トトロ』のあの歌、「さんぽ」というのだといま知った、ぐらいしか思い浮かばない)、もうちょっと弾けるようになった子供たちにとって、リチャード・クレイダーマンを弾くことがめくるめく体験だったということを、ぼくは知っている(どうも、クレイダーマンの曲というのは、弾くのがとっても簡単なのだそうだ。いま「ユーチューブ」で見るとそうも思えないけれど)。そして、ピアノを弾くことの喜びに立ち会うという意味でなら、クレイダーマンを聴かされるというのもそれはそれで素敵な体験だろうと、いまのぼくは思う。バカみたいな音楽だけれど、世の中には「バカみたいであるがゆえの輝き」ってあるのだ。「歌におもいでが寄り添い、おもいでに歌が語りかけ」るものなのであれば、クレイダーマンが弾けたということがまぎれもない喜びであったことを、今だから告白できるという大人も結構いるんじゃないだろうか。だから、今はバッハやプロコフィエフやバルトークを弾いています、という人が、数十年ぶりにクレイダーマンを聴いて、じーんとするというのも、全然恥ずかしいことじゃない、とぼくは思う。人が生きてきた、というのは、そういうことだ。

(2011年11月)

犬がないならパンを食べればいいじゃない?(その3)

「19日の晩は東大の先生とお食事をすることになってるねん」と言って出かけてきたので、帰宅すると母がどんな話をしたのか聞きたがった。

「京阪の交野線って、私市(きさいち)から生駒まで延びて王子までひと続きになるはずやってんて。」

「あー、それは……、せんで正解やったやろうなあ。」

私市から生駒までの間がどんな土地か知っている人はまずそう思うだろう。奈良の人間に「くろんど池がますます身近に!」と言ってみても「いらんて」という返事しか帰ってこないだろうと思う。いや、くろんど池楽しいけど(むかし鴨だか白鳥だかに餌をやった記憶しかないけど)。

教養あふれる方とお話をすると話題が尽きないので楽しいのだが、自分に基礎教養がなくてついて行くのに四苦八苦したりする。「松永弾正の多聞山城は聖武天皇の御陵だったところを城郭にしたものだ」という話をうかがいながら、「松永久秀の城って信貴山しか知らんなあ」とか「聖武天皇の御陵って言うから平城山のへんやろうけどあんなところにお城ってあったんや」などという以前に「松永弾正って久秀のことですよね?」と聞き返す始末である。

まあ結局、その夜はそういう身の程知らずな感じだったのだが(そりゃ、プロの学者と素人が会話するのだから致し方ないのだ)、細かい話題を書いているとキリがないので、この記事では備忘的に2つだけ書いておく。

*

ひとつは、ぼくが実感としてつねづね持っていた「秋葉原がオタクの街になったのは、オタク(としての営為)のコアがゲームにあって、秋葉原がゲーム機やコンピュータを扱う街だからだろうと思うのです」という意見に対し、墨公委氏が「いや、秋葉原がオタクの街になったのは、オタクのコアがアニメにあって、秋葉原がビデオやテレビを扱う街だった(のがギャルゲやエロゲが発展してオタクの興味がゲーム機やコンピュータに拡張していった)からだろうと思うのです」とおっしゃったことだ。

この話の興味深い点は2つある。ひとつは「オタクのコアはアニメだ」というのはたぶん正しいだろう、ということだ。今年つくづく思うのは、ぼくの思い描いていた「オタク」の人たちにとって、今年はついに『涼宮ハルヒの驚愕』がリリースされた年であるのに、ぼく自身のアンテナがどうかしているのか、『驚愕』を読んだ、とネットで書いている人を、ぼくはたったひとりしか知らない。世間で「ハルヒ、ハルヒ」と言っていたはずの大多数のオタクにとって、『涼宮ハルヒ』というのはアニメのことなのだ。実際、ぼくは『驚愕』の初回限定版を、つい今週、病院の帰りに近鉄で寝過ごして降り立つことになった新大宮駅前の「啓林堂」で買ったのだが、つまり新大宮の「啓林堂」にはリリースから半年くらい経った今週にもまだ『驚愕』の初回限定版があったのである。で、これは新大宮が田舎だということでもない。関東を離れる直前、どこだったか忘れたが比較的客の多い書店で(関西に比べれば関東はどこだって客が多いだろうが)『驚愕』の初回限定版を見て「まだあるんや!」と思った記憶がある。いっぽう、『けいおん!』って、ぼくは『きらら』で連載し始めの頃目にした記憶があったと思うが、さして面白いマンガとも思わずノーチェックだったのだが、気がついたら映画になるそうである。これもあのマンガがアニメになったからなのだろう。こういうふうに、原作のある作品がアニメになってそのとたんブレイクして、原作の側で進展があってもファンが反応しなかったり、あるいは原作の側で進展がなくてもアニメの側で進展があればファンが増えたりするというのは、オタクな人たちが反応しているのが結局アニメの世界だからなのだろうと思うのだ。

もうひとつは、これは上の発言だけからは分からないのだが、このあとの墨公委氏の話に「オタクにとってゲームというのはそれ自体がテーマなのではなく、さまざまなオタク的テーマに関するメディアなのである」という認識が表れていた、ということである。そしてそれが、「オタク」というものを総体で捉える場合、正しい見方なのだろう。ぼくはゲームというと「テトリス」しかしないし、「テトリス」というのは何らかのオタク的関心を形にすることで成立しているというものではないだろうと思うのだが(いや、「テトリス」の派生品にエロを盛り込んだものがあるのは知っているが)、たしかにぼくでも名前を知っているようなゲーム、たとえば『電車でGO!』とか『信長の野望』とか『ドラゴンクエスト』とか『グランツーリスモ』とかいったものは、それぞれのゲームのテーマになっているものにオタク的関心を示す人がプレイするのである(『ドラクエ』はさすがにファンタジーのファンだけがプレイしたわけではなかったろうが)。そうでなければ、少しやって飽きてしまうだろう(ぼくがいま書いた4タイトルのゲームを買ったら、絶対にすぐ飽きてしまう)。一方で、ぼくはずっと心のどこかで『フェイト/ステイナイト』ってどんなゲームなんだろう、と思っているのだが、それは「いったいあの登場人物でどんなエロが成立するというのだろう」という、二次元エロに対する「オタク的関心」があるからだろうと思うし、墨公委氏に「『加奈~いもうと~』って一度やってみたいと思うんです」と言って「なんで『加奈~いもうと~』なんですか?」と聞かれたのだが、それはやっぱり、ぼくがエロと同じくらい、妹という存在、そして「人の心の傷」というものに対して、「オタク的関心」があるからなのである。……今さらだが、ぼくはやっぱり「危ない人」なのだろう。

オタクというテーマに関しては「クリスチャンとして『オタクと偶像崇拝』というテーマはずっと考えていて、秋葉原と神田明神、日本橋と今宮戎の関係について考えるんですけど、秋葉原のことは分からないのですが、日本橋でいまメイド喫茶があったりフィギュアやトレーディングカードを売っていたりするところはなんば駅(「南海ですね」と墨公委氏はちゃんと分かる)から歩いて近いところで、今宮戎からは全然遠いんですよね。普通に考えて『オタクと偶像崇拝の親和性』みたいな話って、鷲宮みたいな例もあるにはあるけれど、一般的に言って分かる次元の関連ってないんですよね」といった話もした。秋葉原の沿革について墨公委氏から話を聞いたり、逆に「ぼくにとって日本橋というのは荒物の街、そしてモーターの街であって、オタクというのとは違うんですよね」といった話をしたりもしたが、話がバラけ過ぎるのでここには書かない。

*

もうひとつは、墨公委氏にからんだ話である。酔っ払って周りの客にからむというのはやっぱり楽しいことで、ぼくは世間の酔っ払いの水準からすれば破格に紳士的な絡み方なのだが、今回のように本物の学者が相手だと紳士的だというだけではどうしようもない。で、からんだと言ってもクダを巻いたみたいな話でぼくが勝手にしゃべっていただけである。

この飲み会(「池袋で犬を食う会」改め「池袋で中国のパンを食う会」)の直前、墨公委氏はご自分のブログで「日本の電気料金の歴史 総括原価方式の誕生」と題した記事をものされた。それは、身も蓋もないはしょり方をすれば、「計画経済が既得権益と怠慢の温床になるから言うて、自由化しても弊害が解消されるわけとちゃうけどなあ……」というような感じの話(本当は論旨が違う、「自由化の弊害を解消するために計画経済を導入したんやから、既得権益と怠慢を何とかするためだけにまた自由化したらかんじんな部分で弊害がぶり返すだけとちゃうんかなあ……」という方が近い、けど、そもそもは単に歴史ダイジェストであって何らかの「主張」のために書かれた記事ではない)なのだが、ご事情がおありになったそうですぐ(ぼくの記憶では公開して一夜あけて次の日には)引っ込められたのである。「もったいないですね」と言ったところ「いや実はこういう事情で……」とお話をされたのだが、それは別にどこかから圧力がかかったとかそういうことではなく、時が来ればまた公開できるでしょうという話らしい。

で、墨公委氏が「みんなこういう話題に興味がないんでしょうかね」とおっしゃる。「一夜しか公開しなかった記事に興味も何もないんじゃないでしょうか」ともぼくは思ったのだが、ぼく自身はこの記事を、上で書いた「実も蓋もないはしょり方」で理解していたので、「結局は『しかるべき人がしかるべく計画してものごとを動かすのがいちばん効率的だ』という結論は世間的に見れば面白くないんじゃないでしょうか」という意味のこと(実際に口にしたことは若干違うのだがここではいちおうこう書いておく)を言ったのだが、それとあわせてこういう話をした。「電力自由化とかって軽々に口にする人って、自分たちの生活に必要な『発電所』の具体的なイメージがないんじゃないでしょうかね。」

「技術的な問題に対する理解が欠けているということでしょうか」と墨公委氏がおっしゃるので「いや、純粋に技術的な問題というのとも違うんですけど」と言ってぼくは自分のイメージを話し始めたのだが、この話がもう、酔っ払っているせいというより知っていることを何でもかんでもしゃべってしまうぼくの悪い癖が出たせいで、猛烈に脱線し、気がついたら「大ダムで階段工を採用することのメリット」の話なんかになっているのである。で、どうもこの話が墨公委氏にとってはいちばん面白かったようだ。それならそれでいいのだが。

ただ、かんじんなことをちゃんと説明できなかった気がするので、ついでなのでここに書いてしまう。

何と言ったらいいだろう、「コストやベネフィット(「インカム」の方がいいかも)が発生する技術的なポイントを押さえないとコストやベネフィット自体の具体的なイメージが沸かないんじゃないだろうか」ということである。

やっぱりさっぱり分からないと思うが、マンションで考えてみるといい。マンションに住んでいる人・住んだことのある人・住もうと思ったことのある人、は世間にたくさんいると思うので、マンションの「スペック」というのは大人ならたいていの人が思い描ける。1Kとか、2DKとか、4LDKとか、それが何戸入って全体で何階建てで、どこに建っているのか、ということである。ちょっと詳しければ、エレベータは何人乗りだとか、給水方法はどうだとか、テレビやインターネットはどうなっているのかとかいうことも押さえることができる。

そうしたことを具体的にイメージできると、次の2つのことが具体的に思い描ける。ひとつはコスト。建設コストがいくらぐらい、日常点検や大口修繕にいくらぐらい、ということが、少なくとも説明されれば「はあ」という程度には分かる。もうひとつはベネフィット、というかインカム。そのマンションにひとがいくら払うか、ということが想像できる(そうすると、それが売り手側の目論見どおりかそうでないかということも分かり、つまり事業としてやっていけそうかいけなさそうかが分かる)。そして何より、コストともベネフィットとも違うのだけれど、それが自分たちの生活にどういう意味を持つのかというイメージも描ける。小規模なワンルームマンションが近所に林立すると風紀を損なうかもしれないとか、バカみたいにゴージャスなマンションを建てたら逆に街がゴーストタウン化してしまうんじゃないかとかいうことである。

Specification

(※いい例が目についたので掲げておく。大乃元初奈『社外秘!神田さん』より。)

そういうイメージを、発電所に対して持っている人が、いったいどれだけいるだろう、ということである。発電所の「スペック」。「イニシャルコスト」「ランニングコスト」、そして「インカム」。インカムというのは、需要家にとって、「安ければ安いに越したことはない」という身も蓋もない話でなければ、現実問題電気代にいくらまでなら金が出せるか、というイメージでもある(一般家庭はともかく、企業にはおそらく回答可能なボーダーラインが存在するはずだ)。そうしたものをつかんだ上でないと、企業努力を促すほどの競争が生じる「自由化」を、電力供給の世界で本当に実現できるのか、分からないのではないだろうか。ぼくは前職で、一般家庭が屋根に太陽光発電パネルを乗せると、地域を管轄している電力会社にお金を「支払う」破目に陥るということを知ったのだが、それがなぜなのかとかいったことも、電気に関する技術的な素養がまったくなければ(ぼくはない、同僚が電気工事屋上がりだったから説明してもらった)、分からないのではないだろうか。そういうのをひとしなみに「既得権益だ、横暴だ」というのはやっぱりどうかと思うのである(だから共産党の人とかで技術の話をする人がいたりするのはそれが必要だからなのだろう)。

さあ、まともなことを言っているように見えるだろうか。見えるかもしれないが、これはやっぱり「酔っ払いがからんでる」だけである。なぜか。ぼくは普段「電力自由化」のことなんか考えないからである。「酒の席で話題が出たから思いつきをしゃべっただけ」である。シラフだったらプロの学者相手にできる話ではない(墨公委氏自身は個々の発電所についても相応の知識をお持ちである)。ぼくは関電に食わせてもらった経験があるから、「ふつうの人って発電所なんて見たことないやろうなあ」と思うだけである。発電所の規模というのは実にピンキリで、「イナバ物置」の中に発電機を突っ込んだだけみたいな「発電所」も実際に存在する。それは小さい川に堰を設けてそこから取水している関電の発電所なのだが、堰に砂がたまって川原になると私有地である川岸が減って国有地である河川敷が広がってしまう。それで地権者と国や関電とがもめて(この話はテレビで取り上げられたこともあるらしい)、「何とかならないか」という話が研究所に来た。そこで……。

ま、こんな感じで話がどんどん脱線して行ったのである。

*

3回シリーズでえんえんと書いてきたが、「学生の頃みたいで楽しかった」というのが、その夜の感想である。本当に「余計なエクスキューズなしで」思ったまましゃべることができたというのは、大学時代の友人をささいな失態で失って以来、だから20年ぶりだろう(その友人はいま元気で学者をやっているらしい)。だが「無理解に抗して自分の伝えたいことを伝えるというのが表現の努力というものだ」ぐらいに思って生きてきた部分もあるのである(そもそもこのブログの根本的な主旨だって「作文練習」である。だから昔のマンガのレビューなんかあえて載せているのだ)。これまでの人生において、ぼくは無駄に慎重過ぎたのかもしれない、と今回思うところもあったが(そう思うことは大事かもしれないが)、「自分の興味・関心をまっすぐ追求する特権を持った学者の人と、ぼくのようにどこに行っても下っ端で言われるがままに働くことに甘んじてきた人間とは、やっぱり人生における努力の方向は違うべきだよな」と思う。学者を聞き役に酒を飲んで好きなことをしゃべる、というのは、そう考えると、関東での5年間の生活、あるいは20年間の勤労生活にとって、ご褒美みたいなものだったのだ、と思う。

墨公委殿、ありがとうございました。

(2011年11月)